馬越康彦の日記

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母の葬儀が終わる

12月29日(日)の夕方より通夜、30日(月)の午前11時より告別式を終え、日華多磨葬祭場でお骨となった母と、弟、世話になった母の妹夫婦と一緒に昨日午後2時半ころ、車で帰宅した。

弟は酒を飲んで、ゴッドファーザー(PART1)を一緒に見ながら夕べを共にした。

通夜と告別式の読経は曹洞宗のお寺のお坊さんにお願いした。3年前の父の葬式の時と同じお坊さんだったので、「覚えていらっしゃいますか?」と尋ねたが記憶にないとのことであった。

火葬場へ向かう霊柩車の中でお坊さんとは禅定のこととか、アナータピンディカ長者の話で私が一方的に盛り上がったのだが、覚えてらっしゃらないとのことであった。

母の棺にはスマナサーラ長老の大念処経の本と、沙門果経とスッタニパータの彼岸道品の3冊を入れてあげ、釈尊が亡くなったときに帝釈天が詠んだ偈文と輪廻を終わらせ解脱してほしい私の願いの書かれたA4の用紙も同時に入れた。

輪廻転生から脱してほしいと母に一声かけたら、親戚の誰かから笑い声が起こった。

まだまだ普通の人には輪廻転生も理解されてないようであった。

簡単に解脱までの道筋を呼吸法を例に、名色分離智から生滅智まで説明してあげようとしたが、母には生前語ったが無理だったので、亡くなってから語っても無理だし、それを聴いている親族のためを思ったが、これまた理解不能と思われたのでやめた。

何を語っても私の徒労に終わるのはあきらかである。存在(身体)の喜びにとらわれている衆生には、「これによりてこれが生じる」という因果法則の理解は無理と言ってよい。

霊柩車のあとを車5台が連なって火葬場へ向かったのだが、しんがりを務めたのが私で、霊柩車を運転してくださった葬儀社の方が、5台後ろの私の車まで見てくれたので助かった。

東八道路は飛ばす車が多いのだが、追い越し車線をちんたら走っている我々を、走行車線を使って車が次々追い越していく。なんとなく芥川賞作家の長嶋有(?)の「猛スピードで母は」のフォルクスワーゲンの車列を追い越していくお母さんの姿を思い出してしまった。「何だろう、この車列?」と思ってしばらくしてから苦虫をかみ殺したように走行車線をアクセルを踏み込んで車列を追い越し、霊柩車を抜いたところで追い越し車線に戻る。

ゴッドファーザーを見ながら酒を飲んでいた弟がうつらうつらしている。これまた「猛スピードで母は」に出てくる霊柩車の運転手さながら「こういうときは寝ていいんですよ」と私が言ったら、弟は大いびきで寝てしまった。息子が来年高校受験なので弟も疲れているのだろう。

父の葬儀の時には私が霊柩車に乗ったので、今回は仮位牌を持った弟を葬儀社の方にお願いして、霊柩車に乗せていただいた。

通夜の時も告別式を終えた出棺の時も、弟に挨拶を頼んだのだが、出棺の時と火葬場を出るときの挨拶は私が出しゃばってしゃべってしまった。

弟の勤務先(郵政)からたくさんの弔問客が通夜に来てくださってとても有り難かった。郵政3社のトップが交代という大変な時期と年末が重なってしまい、弟と弟の嫁さんを始め郵政グループの方々には迷惑をおかけした。

皆さんどうもありがとうございました。

2019年は母の年であった。2020年は思考を一切止めて、滅尽定に入りたい。思考しないというのはこれまた一般人には無理である。寝ていても妄想している。思考しないのが究極の楽だと分かる人もほぼいないであろう。

母を失ったショックから、もっと悲嘆にくれるのかと思ったが、兄弟は有難い。弟の家族と母の妹夫婦のおかげで、普通に暮らしている。自宅は売却まで半年~一年間かかるらしいので、ゆっくりと業者を選定して売却したい。

今の若い人には無駄にでかい家は売れないらしいので、我が家の土地は丁度いいくらいか、ちょっと大きいらしい。

車がなくても生活できるが、あった方が便利なのは確かだ。

皆さんいい年をお迎えください。私は父と母を見送ったので、自分の老後を考えるだけです。

紅白は見ないだろう。テレ東の年忘れ日本の歌を見て、ユーチューブで木枯し紋次郎のテーマを聴いて、行く年くる年でも見て今日は眠ろう。