馬越康彦の日記

思いついたときに記事を更新

物騒でもタイへ行こう

今日のタイでの銃乱射事件には驚いた。でもタイへ行くことに気持ちは大きく傾いている。

ネットでも日本人の方で、タイでロングステイされている方の記事ばかりを拾っているし、駅ビルの大きな書店で探す本もタイの本ばかりである。

まあ2年くらいは旅行者として年に数回下見を兼ねて勉強に行こうと考えている。日本の賃貸マンションは必要なくなったら(契約を)終わらせるつもりだ。

資金繰りだけはエクセルでしつこいほどしてみたが、90~95歳くらいまで大丈夫なので、修行を兼ねて行ってみようと思う。

日本にいると私の人間嫌いがどんどんひどくなるのが分かる。なんか日本を見ていると絶望的になってしまう。

せっかくホテル暮らしをして自由になったかと思っていたら、周りの日本人と私の自我意識によってとても窮屈な思いである。

日本は礼儀知らずで年寄りや女子供に親切ではないから、年寄りとなっていく自分にとっては魅力が全くない。

犬を飼ったり、子供を育てたり、そんなことをステイタスシンボルにして、優しい心を持たず、物質中心主義で心を育てる者に辛く当たる日本文化とはおさらばである。

タイでの生活はコンドミニアムというマンションに一年ごとの生活なので常に居場所の変わる生活になりそうである。

そうそう、ダンマパダにもあったが、この家からあの家へと住居を定めずに転々と暮らす境地が偈になっていたが、自分の将来がそういう特定の住居を持たない生活になろうとは正直思ってもみなかった。そういう風に展開するとは思っていなかったが、今は嬉しい。諸々の束縛の絆を断ち切ったのは実に嬉しい。もうなにも心配することがないというのは本当に楽である。愛する者を持たないというのは究極の安穏である。

 

自分の仏教人生(50歳ころから今まで)は、スマナサーラ長老の説法を読んで聴いて育ったようなものである。それに加えてマハーシサヤドーの本やウ・ジョーティカサヤドーの本、アーチャンチャ長老の本を頼ってここまで来た。今更新しい修行法は必要ないのである。

ためになるマハーシサヤドーの修行法がネットにあるのでリンクを貼っておきます。

 

http://hachisu-net.com/issei/mahashi.html

 

鈴木一生さんのはちすネットのもののようである。これで充分である。これを真剣に実行するのはいかに難しいことか!

 

現象が分かり、無常が分かり、執着を断ち切って、やることといえば、寝ている時間を除いた24時間のサティとサンパジャーナである。

ニルヴァーナがどういうものかは、瞑想で体験した。あとは納得のいく国で、安らかにサティとサンパジャーナを切れ目なく続けたい。

 

タイが文明開化して日本同様に暮らしにくくなったら、タイを根城にミャンマーで暮らすのもまた良い。

 

修行も終わりになってくると、ヴィンニャーナ(識)が消え、受(ヴェーダナー)、想(サンニャー)、行(サンカーラ)もすべて消えて、苦の全くない状態に行き着く。ナーマが消えたところで、さらに呼吸や心臓など一切の活動を止めてしまえるのだが、自分はナーマの止まったところまでしかできない。それでも、それはもう言葉にできない状態で、ずっと浸っていたい世界なのである。

昔、ルパン三世を見て、ロシアか北欧かわからないが雪の降る時計塔の中で女主人と静かに暮らすイワノフ?(偽札づくり)を夢見ていたが、南国で独り静かに暮らすことができそうでほっとしている。しかも仏教徒の国で、である。日本より遥かに条件はいいのである。

 

*そうだ、もっとよく合っているのは、高校生の時読んだヘンリーライクロフトの私記である。人生の晩年はあのように静かに過ごしたいと思ったものだ。

 

タイの巨大なゴキブリと暑さには、対策が必要だが、殺生しなくなった自分は蚊帳で身を守るとか、しかるべき方法で戒を守る生活を送ることになるだろう。

それにしても他の日本人移住者がプールやゴルフに興じている中で、部屋で一人静かに瞑想するというのは、なんだかすごいギャップがあるのだが、自分としてはタイでの生活はホテル暮らしの延長のようなものと心得ている。

 

タイ語を勉強しなければいけないな。大丈夫かな。カンポンさんをしのんでライトハウスにも行ってみたい。挨拶のできる人たち、目上の人を尊重する人たちの中で暮らすのは、独りでも喜ばしいことである。

日本は殺伐としている。東京だけのことなのだろうか?

 

人として成長する可能性は、いつでも残っている。何もかも目新しく感じられる時が、とても嬉しい。自分は海外に出るのは大学卒業時にオーストラリアに1ヵ月行った時以来なのだが、英語を聞き取れない当時の自分にとって、ラストの方は少し日本語が恋しくなった。今は日本の番組を見られるようだし、日本の方も大勢行っているみたいなので、その辺は大丈夫なのだろうか(タイの話です)。夫婦で行くのと違って一人だし、電話する友達もいない。自分は生来独りでいるようにできているんだと思い知った。もちろん生きていくのは多くの人たちのおかげなのだが、それとは別に、心はもう完全に独立してしまって、別にタイへ行かなくても独りである。それがなぜか心地よいのだ。不思議である。