馬越康彦の日記

思いついたときに記事を更新

水も火もなく、太陽も月も輝かないところ、それを知っている

いよいよ最終局面に入ったようだ。もはや全く妄想の湧かない、何の思考もない状態で禅定に入っていられるし、思考の働きの止むところ、受も想も行も識も完全に止滅する安穏(ニルヴァーナ)を知ってしまった以上、人生で為すべきことは為し終えたと言っても構わないのだが、まだ慢が残っているので、この慢を止滅させて、終わりにしたい。

 

苦労したのは性欲(愛欲とか愛執)であって、これは小平市に在住していた時は最後の3年間、まったく止まっていたのだが、父を失い、母を失い、棲み処を暴力によって明け渡してからというもの、何度か自慰行為をしてしまった。

 

「これ(性欲)は渇愛である。塩水を飲んで渇きを癒せないように、自慰や性交によっては、愛欲を満足させることはできない。性器をいじっているから、満たされない渇愛(性欲)によって、ふたたび迷いの生存を繰り返す」ということが、はっきりわかったので、苦しみの元となる自慰を捨てることができた。しかし一遍にではない。断ちがたいのは性欲(愛欲)であると、ブッダがウダーナヴァルガ(感興の言葉)で繰り返し仰っていられるように、これ(性欲=愛欲)を断って、流れに逆らい、流れを遡(さかのぼ)る者こそ、平安(ニルヴァーナ)にたどり着く。性欲も欲も満足させることはできない。離れるしかないのだ。思わないこと(性欲について思わないこと)が性欲を断つ(ウダーナヴァルガの愛欲より)。

 

相変わらず、世間の凄まじい攻撃にあっているが、現象世界は泡沫(うたかた)であり、夢・幻であるとブッダが説かれているので、何が生じてもほぼ平安でいられるようになった。おそらく殺されても大丈夫であろう。世界を捨てた。世界には何の意味もない。苦=ドゥッカである。まったく意味がない。この意味のない世界で、衆生渇愛にひきずられて、延々と闘争し、各々がなした善悪の業(カルマ)によって、次の世界へと転生していく。現象世界の成り立ちや仕組みが分からないから、解脱できない。延々と現象世界で苦しむ。ブッダの発見は偉大なんて言葉じゃとても足りない。よく現象世界と輪廻転生の謎を解き明かしていただいたものである。我々には考えつきもしないことである。

 

人から攻撃を受けると、不快なことは確かに不快である。ブッダは、快も不快も捨てろと言っているので、現象世界の六境から六処が受ける識はすべて捨てることにした。見るものは見ただけ、聞くものは聞いただけ、味わうものは味わっただけ、触れるものは触れただけ、考えるものは考えただけで終わらせる。認識したところですべてストップ!たしかブッダがバーヒヤ尊者に説法したのと同じような気が。

 

現象世界で受ける快・不快は、迷える生存の世界で六処が六境に触れて生じるものであるから、はめられているので、執着せず捨てよとブッダも仰っている。

 

現象世界、世俗世界、欲界の支配者はマーラである。ずっとマーラの摩訶不思議な恐ろしい力と闘いながら修行をすすめてきたが、マーラの支配できないニルヴァーナを知ったので、魔の軍勢の手を逃れた。マーラの力はすさまじい。想像以上であった。

 

こうして生きている間は、マーラがずっと後を追ってきて、騒音を立てたり、威嚇してきたり、笑い声をあげたりと、様々な嫌がらせを延々と受けるだろうが、もう現象世界には何の未練もない。

 

この岸を捨てて、暴流(ぼる)を渡り終えて、向こうの岸へたどり着いたのだから、マーラとの戦いは決着した。

 

ただ、これからもマーラは私をいじめるだろうし、マーラにあやつられる世間も私をいじめるだろう。それは仕方のないことである。もう諦めた。

 

以前、「にこにこ動画」でスマナサーラ長老が、人間は敵に遭遇すると、逃げるか、攻撃するかの二つしか知らないと仰られていたが、第三の道、つまり生きることを諦めるという道を見つけてしまった。

 

存在欲の呪縛から解放され、命にこだわらなくなった。生きることを諦めると、こころは無上の喜びを覚える。ただ、これだけではまだ終わりではない。

愛欲を断ち、慢を断って、はじめて修行の完成である。

 

空海は性欲について、ブッダ釈尊)とはまったく違う態度で臨んでいる。弘法大師は涅槃に入っていない(こんなことを書いては殺されるかもしれないのでこれ以上は触れないが・・・)。ブッダの教えが正しく伝わっていれば、あれだけの理性的な人だから、こころを清らかにして、悟っていたのかもしれないが。

 

 

空海にしても最澄法然親鸞道元日蓮など、あまたの聖人を侮辱するつもりは全くない。日本にただしく伝わってきたか否かの、ただそれだけの問題であった。彼ら聖人たちは立派な方々なので、方法が正しく伝わっていれば、余計な哲学的疑義・哲学的問答を乗り越えて、迷える生存から解脱していたかもしれない。道元禅師など不還果ともいわれているし。素晴らしい方々だと思う。

 

正しく悟りの道をしめしてくださったのは、スリランカより日本に奇跡的に来られ、日本語で説法してくださるスマナサーラ長老のおかげである。

 

師よ、ありがとうございました。一方的に私が敬愛するだけなのだが、この恩義は絶対忘れない。マーラにより発狂させられ、殺されるところを救ってくださったのは、スマナサーラ長老である。そして何よりブッダの言葉があったからである。

 

仏法僧にひたすら帰依いたします。