馬越康彦の日記

思いついたときに記事を更新

フリードリッヒ・ニーチェ und 馬越康彦 “人間的な、あまりに人間的な”

今日は30年以上も前に読んだニーチェの標記の作品より(この時代では、白水社において¥2,800円で取引されていた)引用させていただき、現代に問うてみることにする。

三六二

防御の手段。――愚劣との闘争においては、もっとも公正で穏やかな人々でも結局は乱暴になる。彼らはおそらくそうなることによって正しい防御法を講じていることになろう。なぜなら、愚かな頭には正義の上から論証として拳骨が適当なのである。しかし前述のとおりその人々の性格は穏やかで公正なので、彼らはこの正当防御の手段によって相手を傷つける以上に自分が悩むのである。

cf:馬越康彦著『さいなまれた人々』

三八一

自然を修正すること。――良い父親を持たないなら、それを作り上げなければならない。

三八九

恋愛結婚。――恋愛から結ばれる結婚(いわゆる恋愛結婚)は誤謬を父とし、逼迫(欲求)を母としている。

三九三

場所の一致とドラマ。――もし夫婦が一緒に住んでいなかったら、良い結婚はもっと数多いことであろう。