馬越康彦の日記

思いついたときに記事を更新

少子高齢・多死社会の日本を100年にわたって幕引きする若者たち

日本は2060年には人口が8600万人へ、2100年には5000万人を切ってしまうと言われている(『人口減少の見通しとその影響』 平成27年版厚生労働白書より)。
人口が少なくなれば、お化けのように所得が倍増・3倍増と増え、それが恒久的に続かない限り、日本の総所得・総需要・総供給(労働人口など)は人口減少に合わせて、右肩下がりに落ち続けることは疑いのないところだ。

国際社会では電気自動車(EV)と再生エネルギーが6G(第6世代移動通信システム。現在は5G)、7Gの社会でのプラットホームで、どこの国もそちらに右に倣(なら)えである。輸出産業の花形であった自動車などは完全に脱落すると予想されている。

 

そもそも日本人の8割が中小企業に勤め、英語など学校では習うものの、話したり聞いたりすることは、ほぼない。コロナ前にインバウンドの増大で外国人が観光客として入ってきたが、日本人の商売は基本的に日本人が相手で、国内マーケットがほぼすべてである。
ニュースなども国内のニュース(NHKと民放)ばかりで、BBCやCNNなど聞く暇も必要もなかったであろう。

 

それだからというわけではないが、日本は取り残されてしまった。30年前は「Japan as NO.1」であったが、今や世界の中の貧困国家となり、女性の社会進出は遅れ、自殺率は先進国の中でも異様なほど高い。国際社会の動向など気に留める暇も必要もないまま、30年が過ぎ、経済成長のない珍しい国となってしまった。エネルギー政策の転換ができず、現金決済がかなりの割合を占め、デジタル技術がまったく活かされていない状況から、東洋のガラパゴスと化し、貧困国となった今、G7(先進7か国首脳会議)に顔を出していいのかためらわれる。

 

とにかく人口減少とプラットホームからはずれた産業衰退は既定路線となったのだから、人口が3000万人で落ち着くのか、2000万人まで減少して落ち着くのかわからないが、そこへたどり着くまで、少なくなる若者が老人を見送り、さらに自分の死を準備して、自分たちよりさらに少なくなる若者に看取ってもらうという、戦線撤退の最前線を担ってもらうしかない。

 

ある者は日本に見切りをつけて、海外へ出ていくであろう(有名人やミュージシャンの一部がそうしているように)。そうしてさらに減少は加速するであろう。両親2人を一人で見送った私の素直な感想は、「大変だ。金がなきゃ無理かも?」である。

 

兄弟とかその嫁の助けなど、まったく望むべくもない。しかも彼らのつくりだす子供の大半は私と同じく、両親を見取り、自分は独りで終わるように、人口減少社会の戦線を撤退していく。縮小が縮小を産む縮小再生産社会だから当たり前なのである。

 

赤字国債は償還するどころか、今後戦線を縮小・撤退する日本の若者には、せめて金がなければ日本社会の縮小衰退を平和的に維持・実現するのは無理なので、国際社会の協力と信任を得て、今の何倍もの借金を背負うことを認めていただかねばなるまい。

 

移民を入れるなどと高所からアジアを見ていたのも、今は昔。中国などに併合されないように、身売りするときがくるかもしれない。いっそスイスのように永世中立国を宣言して、武器を一切放棄し、国防費を無くしながら、なお自国の中立的立場を保ちつつ外患をなくし、内憂である国内衰亡を耐えながら、ゆるゆると人類史の歴史から頑張って消えていく(薄まっていく)の一手しかない。

 

戦線を縮小・撤退するのはそれなりに大変なのである。人口が減少していけば、イノシシや熊はもっと人里まで下りてくるであろう。少ない人間が、どこに集まって暮らすか、電気・水道・ガス・道路などのインフラを、どこを捨ててどこを維持するか、国民参加で総意の上で決めていかないと、すぐにあれよあれよと人が消えていってしまうだろう。