馬越康彦の日記

思いついたときに記事を更新

心の声に殺されないで! それ本当に心の敵です

このところ統合失調症の記事の連続で、悟りのほうはどうなっとるんかい?という読者の方もいらっしゃるかもしれないが、今の私の関心事は、過去を鮮明に思い出すことと、今日もテーマにする心の中の無数の私(人格)なので、辛抱していただきたいです。

 

さて、統合失調症と言えば、ドーパミンという神経伝達物質の過剰分泌によって、異常セイリエンスの働きにより、巷のあちこちにあふれている音の中から、自分に不都合な音(自分を笑っている笑い声とか、自分のうわさ話をしているとか、自分の行動を非難する子供の喚き声とか)を脳が先鋭的に捏造して、それがリアル(本当に実際の人が自分をあざ笑っている)なものだという思い込みから、事態をさらに悪化させる様々な関係性(近所で私は馬鹿にされている。あの人は敵だ、など)の妄想が立て続けに引き起こされるというのが通説みたいで、このドーパミンの過剰分泌を抑制するのが、リスペリドン(リスパダール)などの薬とされる。

 

 

でも私から言わせれば、「ちょっと待ってよ」という状態である。なんで色々な音に特徴を付けて注意を際立たせるセイリエンスの働き(役割)によって拾い出すのが、時としてその人(統合失調者)に死を迫るような、攻撃的な内容に満ち溢れているのか?
それも本当にリアルな、同じ人間の声として聞こえてしまうのか?
そういった患者の実態に関しては、このドーパミン過剰分泌と異常セイリエンスでは何の説明にもなっていない。
実際に声が聞こえ、物が見えれば、それに引き続いて起こる疑いの数々は、正常な人間も普通に類推するものである(同じように罠にかかる)。
つまり問題は妄想より幻覚(幻聴・幻視)の部分である。でもそれは本当に患者の作り出した幻の声・幻の姿なの?
否・否・三度否!

それは本当の心の声なのです。過去記事から続いて何度も申し上げるが、私たちの心というのは、一つの確固とした絶対に変わらぬ永遠不滅の魂のような人格が常住しているわけではなく、無数の人格がつながりやすい他の人格と一緒になってチームを作って、チーム戦によって、この肉体をコントロールして、自分の好みの色声香味触のデータを得て満足しようと戦いを繰り広げているのである。
普段は同じ一つの人格がず~っとあるように感じられるし、戦いなど意識することはないのだが、メインの人格が何らかの不具合で外界との交渉に失敗し、世間とうまく渡り合っていけないと感じられるときは、野党である、心の中の他の人格が、ここぞとばかりに攻撃してくる。
これが幻覚の答えである。心の声だから、異常セイリエンスによって、外の音を加工して拾い出すこともあるし、意(心)が触れる法というデータから(ちょっと仏教が入っていてわからないかもしれないが)、我々は実際に音を聞いているのと変わらぬ認識をすることもある。
ベートーベンが聴覚を失ったあとどうやって作曲したかと言えば、心で音を再生して、それを聞きながら譜面を起こしたからである。
心は音を作り出せます。その心の一部が敵である野党の支配にあるのだから、幻覚という形で、リアルと何ら区別のない本物の人の声、人の笑い声、非難する声が聞こえるのです。
さて、これは果たして病気でしょうか?
これはどうみても病気じゃないでしょう。
統合失調症と言えば、心の弱い人が錯乱して、本当は存在しない幻の声を聴き、幻の姿を見て、それを現実であると思い込んで社会で迷惑を起こす精神薄弱者であると思われるかもしれませんが、それはイメージ先行の作り話です。
実際どういうことが起きているかと言えば、今申し上げたようなことが起きているのです。

病気でも何でもありません。心には私に敵対する無数の私がいるのです。事実はこの通りなのです。
精神医学が発展して、患者に対する誤解や差別がなくなり、この心の仕組みを、薬という化学物質で解決できる日を待ち望みます。