馬越康彦の日記

思いついたときに記事を更新

煩悩(主に欲情)に惹かれた一年

統合失調症の薬(リスペリドン)を飲んで、だいぶ霊障がおさまってきた。完全になくなることはないが、それは30年の闘病生活で経験済みである。

ある程度のところで落ち着き、それを維持(Keep)していくしかない。完全に断薬したこの一年の、おそるべき霊障と比較すれば遥かにマシというものだ。

 

しかし薬で抑えているとはいえ、その背後には、表に出てくれば悪魔を超える力を持つ、心という不思議な世界の闇の部分がある(表も闇もないんだけどね)。

 

スマ長老に、「心が現象をつくっていますよ」と言われた時は、ブッダの実践心理学シリーズで、もう一度「心所」などに当たってみたが、心という「識る」機能が純粋に働いている中に、「怒り・嫉妬・憎しみ・・・」などの心所が溶け込むという以上のことは、よくわからない。

 

心の中に、米国大統領とビン・ラディン氏のような、二律背反・不倶戴天の二者がいること、「私」とは、もともと無いもので、一瞬一瞬、俺が俺がと、無数の「私」が殺し合いをして、その人の表面的な人格というポール・ポジション争いをしており、これを終わらすためには「私」はない=無我、という状態にならなければいけないということまではわかった。

 

しかし、無くなったと思うと、復活するのが自我である。最終的な解決はまだまだ先の事のようである。

 

この一年は、霊障により自宅を出て八王子でホテル暮らしをするところから始まり、コロナが広まり、府中(東京都府中市)へ引越し、霊障が霊の仕業だと知り、今治へ引越し、自宅の売却、福山へ引越しとめまぐるしい一年であった。

 

私は30年間、女性と性交渉がないのだが、わけてもこの3年は自慰行為すら止まっていて、欲がなくなったか?と思いきや、引越してからは、自慰行為が始まってしまった。集金に来る女性が、なんで?という艶やかなドレス姿で玄関に立たれた時は、私も堕ちてしまいそうであった(堕ちててよいのかもしれないが、不邪淫戒違反でしょ。もし自慰行為と同レベルの悪行為なら残念至極。やっとけばよかった)。ほかにも手を握られたり、接触されたり、「おいで、おいで」と若い娘に手招きされたり、じっと見つめられることもあった(思いあがっていたが、誰でもこの程度はあるようです。反省)。

 

 

いずれも臆病な心が勝って、なんの結果もないのであるが、いつ落ちてしまうかわからない状況である。還暦を3年3か月後に控えたじいさんには嬉しい誘いかけであるが、心がそのたび動揺して波を打ち、コントロールできない。

 

以前ネットで読んだ「ウメぽん」さんという方のミャンマーでの出家生活紀を読むと、自慰も何度かすると、「アウト」のようである。本来の出家とは、かように厳しい。

 

それを思うと在家でよかったのだが、怒りも欲も、煩悩は乗り越えがたい。親というタガが外れているので、かてて加えて家族もいないので、なおさら自分でなんとか律していかなくてはならない日々である。ああ、シンドい。

 

 

今…感じる感覚は……

おれは「白」の中に

いるということだ…

DIOは「黒」!

ジョースターさんたちは

「白」

「黒」と「白」がはっきり

別れて感じられるぜ!

傷ついた体でも

勇気が湧いてくる

「正しいことの白」の中に

おれはいるッ!

 

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安心するんじゃ ポルナレフ