馬越康彦の日記

思いついたときに記事を更新

2015-01-01から1年間の記事一覧

聖者への道

聖者の流れに入っておくことはなぜ必要か?たぶん生きている意味とか、人生の意味など分からないであろうから――おそらく人間とはそういう存在なのだから――預流果(よるか)にさえ到達しておけば、最大で七度(*注1)、それも人界か天界という良い境遇だけに…

多幸感の謎(なぜ多幸感は訪れるのか)

預流果に到達しているといいながら(預流果になれば、「あっ、やっぱりこれ(仏法僧)が真実か」と分かり、この道を疑わなくなるのに)、密かに新約聖書のルカによる福音書を9月8日(火)に読み直し、あらためて永遠の命について思いを馳せていたら、3月24日…

生理哲学8(生理の謎)

すべての動物は生理的に完全な状態を目指している。だが、完全な状態はなかなか訪れないまま、結果だけが虚しく自然界へ散っていき積み重なっていく。どの瞬間をとらえてみても完全な生理ではない。何度か行動してみて、そのうちの結果をいくつか並べてみて…

体について・輪廻について・創造主について

人間の体は食べ物を摂取し、尻から糞を出し、膀胱から小便を出すことの連続である。摂った食べ物が体の中の消化器官を経由して主に小腸から栄養が吸収されATPを生成し、エネルギーに変え、その作業(食っては出し、食っては出すこと)を一生と呼ばれる期間に…

無我(非我)の境地に達する。ニルヴァーナへ行ってきた。梵我一如を体験した。

先日ある人に会って、こういう経験をしたよと話したら、「それは無我の境地ですよ」と言われた。今振り返ると、個人的には梵我一如を体験したと思っている。自分の日記を見ると、その時のことを「天にいた」と記してあり、プラスグーグルには次のように記し…

生理的錯誤『時間は十分か』

若い頃は「何か」という問いかけ主(宇宙真理とかブラフマン)の実体がわからぬまま、突き動かされ、読書に耽溺したり、スポーツに熱中したりする。若い頃に持っていたあの有り余る時間の意味は老いを迎えてもなお判然としない。 体が動かなくなったり、頭が…

悪に負けないこと

悪に屈してはいけない。悪というのは何とか正義を屈服させようとあの手この手で我々を襲う。私は悪と闘っている。悪は病気とか老いとか、そうしたところに目をつけて、我々を服従させようと迫ってくる。私も皆さん同様に毎日悪と闘っている。犬の鳴き声や赤…

独白

私はある独特の境地に達することで、自分を納得させようとしてきたのかもしれない。多幸感に満たされ、晴れ晴れと心や魂が青く冴えわたる空の中で好きなだけ踊り、消えることのない白い光にもくもくと包まれた時は、(それを悟りの境地だという人がいたので…

永遠の命

『こわがることはない。われわれにくらべれば、あのお方はその偉大さゆえに恐ろしく、その高さゆえに不気味に思えもするが、しかし限りなく慈悲深いお方なのだ。愛ゆえにわれわれと同じ姿になられ、われわれとともに楽しんでおられる。客人たちの喜びを打ち…

病理哲学

体媒師という存在 霊を媒介する霊媒師という存在があるように、自分の身体を人の通信手段として提供する体媒師というものがあり、どうやら私は父の病を体媒しているようなのだ。父親と同じ痛みを持つことはあるのか?答えは「ある」だ! 私は初め、何ていう…

達するということ

来月3日で51歳になる。人間50年を過ぎると、色々な境地、心境に達していて不思議ではないのに、僕は自分の周りにそういう人を見たためしがない。執着から解放されている人に出会ったことがない。去年の今頃は、僕は父の持つ、気を発して周囲を威圧した…

生きるということ

パソコンがフリーズすると、そこへ入力した内容、記憶させたデータ、印刷せずに保存している写真等々が根こそぎ失われるような気がしてしまう。いかにハードディスク以外の記録媒体にバックアップしていても不安でならない。ドストエフスキーは「カラマーゾ…

人の痛みを自分の痛みとすること

人の痛みを自分の痛みとする。それは私にとって人の痛みを自分の痛みのようにとらえる(考える)ことではなく、私の身内の痛みが本当に私の痛みとなってしまうという驚くべき事態となって私に降りかかってきたことを意味する。されど何を意味しているのか、…

光る者

命が限られた時間に放り込まれたとき、輝くことがある。植物が光を求めるように、人もまた輝く者を求める。輝きはたいてい瞬時の事であるが、この瞬時という時間の感覚は、その時々で異なっていて、人間の命は大体短いものだから、輝く時もまた短く感じられ…

自分の人生を肯定する術

自分の人生を肯定するために必要なことは、気持ちが何物にも執着しないことである。何物にも執着しないということは、一見すると、個体としては死んでしまっているかのようなイメージを与える。何事にも拘泥しないのだから、そういう人にとっては世事などど…

生理哲学7 闘病の意味と不幸の意味

人類について。人(ホモ・サピエンス)。彼らがなぜ、その人種、その民族、その国家、その階級に生まれるべくして生まれついてしまうのかがよく分かる。なぜなら彼らは悟りを啓けないからだ。だから今述べた、なぜ?という疑問にも、彼らは回答を見つけられ…