馬越康彦の日記

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悪に負けないこと

悪に屈してはいけない。悪というのは何とか正義を屈服させようとあの手この手で我々を襲う。私は悪と闘っている。悪は病気とか老いとか、そうしたところに目をつけて、我々を服従させようと迫ってくる。私も皆さん同様に毎日悪と闘っている。犬の鳴き声や赤子の泣き声、複数人による笑い声など、あの手この手を使って我々の神経を苛立たせたいと悪は望む。
悪に屈しないためには夢を持つことだ。壮大な夢、ニーチェツァラトゥストラで語ったように、大いなるあこがれをもつことだ。異性にはときめくがあこがれることはない。我々のあこがれは我々を遥かなる将来の先で偉大なる者へと変貌させる契機となる。
偉大とは時代の夢。われわれ日本人の夢の一つはテニスの錦織圭選手だろう。
私は時間と場所を失った者だ。もっともなじみ深い我が家の私の部屋でさえも、よそよそしく陰気くさいものとなってしまったが、TBSドラマ「天皇の料理番」をみて、私は夢を抱くようになった。夢、それをひとかけらでも持てば、無間地獄からさえ解放される。
生老病死は避けがたいが、夢があれば、私たちの毎日は充実する。毎日燃えるような充実感を味わう以上の幸せは人生にはないと思っている。どんな贅沢よりも人を生き生きとさせるもの、それは夢。夢を失ったら我々は単なる労働力でしかない。人間が牛馬と違うのは、夢を見て働くことができる生き物であることだ。夢は人をいくらでも作り変えてくれる。
矢吹丈は少年院の農場の隅々まで片手でクワを入れて、手首を鍛えたではないか!
夢が消える時代は特攻隊の時代、すなわち戦時である。私たちはやむなく夢を追いかけられなかった祖先の分も夢を見なくてはいけない。仕事は我々の夢を実現するためにある。仕事のために生きるのではなくて、夢のために生きようではないか!
私の夢、著述家として名をとどろかせること。そして、ほんのわずかしかお手伝いできないが、貧しい人たちが夢を見られるように、少しでも世に尽くすこと。夢を見るために私の毎日はある。どんなに貧しくても夢を見て、それを実現しようとするチャンスを誰もが持てるような社会。閉塞感漂う日本の社会に必要なのは夢だ!