馬越康彦の日記

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生きるということ

パソコンがフリーズすると、そこへ入力した内容、記憶させたデータ、印刷せずに保存している写真等々が根こそぎ失われるような気がしてしまう。いかにハードディスク以外の記録媒体にバックアップしていても不安でならない。ドストエフスキーは「カラマーゾフの兄弟」を著した後、本当にそれが後世まで伝えられると安心していたのだろうか?内容はもちろん最高峰のものだ。だが、文字文化が、つまり文字でさえ消え失せてしまう時が来るとは、ちらとも思っていなかったのではなかろうか?父の記憶がかなりあやふやになってきた。理性万能主義を誇っていた父ですら、時の経過(老化)にはあらがえぬ。100歳のご長寿の方がほんの20人続いていれば、イエス・キリストの奇蹟が目の前で行われていた時代に戻ることができる。さらに6代遡ればゴータマ・シッダールタが生きていたのだ。ほんの少し前の事が風化してしまう。70年前終戦を迎えたばかりだというのに、日本はもう右傾化して止めようがない。
メディアは政府御用達の機関となって、誰もモノを言えなくなる。しかも民主主義は表向き堂々と手を振って歩いているのだ。高校生の頃から一貫して、民主主義などあてにならないだろうと思っていたら、自分が生きているうちに本当に機能しなくなるとは思ってもみなかった。高校生の時、日本の人口動態が、まだ青々と若き血に溢れている頃、一人ひそかに、年金資産を後世のために蓄えておくなら今しかないと思っていたら、32年経って案の定年金財政は破綻へまっしぐらだ。ほんの瞬きひとつしている間に日本は転落している。財政健全化は無理だそうだ。2020年じゃなくて、その後もずっと無理だろうと思う。国家の歳入・歳出が硬直化すれば、外へ外へと支配の手を伸ばして若返りを図らざるを得ないのは歴史の示すところだ。明治維新から間もなくして日本は世界大戦に突入し、終戦から70年でもう平和憲法は失われようとしている。歴史が本当に繰り返すものだとはさらさら思っていなかった。誰かの戯言だろうと思っていたら本当だったのだ。恐れ入った。
僕が中学1年生の頃、国分寺の駅前にサンなんとかというハンバーガー店があった。ハンバーガーを食べたことのなかった僕は、映画の帰りか何かで、その店で待ち合わせをしようといわれ、二階に客席があることを知らずにさんざ店内を眺めまわして、誰も集まっていないことを見て取り、ハンバーガーを一つ頼んで帰宅してしまった。ハンバーガーだけは美味しかったのをよく覚えている。それから40年で、某ハンバーガーチェーン店は異物混入で迷走している。ハンバーガーとフライドチキンで満たされれば、この町は幸せになるだろうと思っていたら、40年で昔より落ちてしまった。主婦が家庭で包丁とまな板を使わなくなり、輝ける女性の時代だか何だか知らないが、外へ出て金を稼ぐようになって、日本は確実に不幸になった。衣類もひどいものだ。昔は着心地が良くて、長持ちした衣類が、呆気なく安くて粗悪なものへとなり下がった。衣、食がここまで落ちれば、住環境も多分落ちているのだろう。生活が40年経って落ちるなどとは思っていなかった。
アメリカや資本主義と交わるのだとキューバは期待しているそうだ。テレビに映し出されるしっかりした白いシャツと酒を飲んでいる、青い空のこの国の姿がなぜか懐かしい。食糧さえなんとかできれば、交わらないほうが幸せなのに、キューバの人は誰も気づいていないから交わろうとしている。
文明が発展したり、進歩するんだと本気で信じているのだから、人類はおめでたい存在だ。僕は実際に生きてみて、40年前より社会も世界も経済も政治も悪くなっている。人の心は荒ぶ一方だ。荒んでくると、他人の心を信じられなくなる。だから金で力を握ろうとする。政治屋は金で力をふるうものを限られた人々の特権としておくために、持つ者と持たざる者を峻別しておきながら、「要は皆さんの努力次第です」と公言してはばからない。結局行き過ぎた格差は戦争とか、革命でまたいったん平等になる。いつまでたってもこの繰り返しだ。
負(悪魔)は偏在と共にある。富は悪の源だが、富なくしては皆不安で仕方がない。僕だって不安だ。だから富を持たない者からなる国は地上では実現しない。格差がなくて、みなが若々しく、バイトすれば恵方巻を買わされるような悪質さがなく、安心して子供を生み、青年が安心して働ける国が40年前の日本にはあった。あれはもう一巡しないと帰ってこない。