馬越康彦の日記

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変わった学生(自分を振り返って)

私は慶應義塾大学に入学するまで、一浪して中央大学(経済学部)に通ってから慶應の経済に入ったんですけど、目的はマルクスカール・マルクス)を勉強することだったんです。マルクスを学びたいとか、経済学部に入りたいと思うきっかけになったのは、当時岩波新書から出ていた「資本論の世界」(内田義彦先生著)を浪人中に国語の力をつけようと片っ端から岩波新書のシリーズを手にしていた時にたまたま読んでみたことだったのです。内田先生は社会学者としては超一流でしたから、これは大変ためになる本でした。それでは大学に入ったら資本論を読みましょうということで、私は東京大学の文科Ⅱ類を第一志望にしていたのです。
当時の世界史の勉強というのも、現代と代り映えせずに暗記だけに走っている学生ばかりだったんですね。それじゃ日本史を学んでいるのと同じで退屈でしょうがないと思っていた私に、マルクス唯物史観というのは魅力的でした。世界史を全部唯物史観ひとつで解釈できるのなら、これほど合理的なことはない。でもマルクスが言うように生産手段の支配者が本当に歴史上支配階級だったのだろうかと、世界史の教科書を徹底的に読みながら、各時代の生産手段が何であったのか、その支配者が本当にヒエラルキーのトップだったのかと、探してみるんですけど、高校の世界史の教科書にはそんなことまで書かれていない。そこで仕方ないんで受験から脱線して、歴史のもう少し細かい本にあたってみたりしてみるんだけど、今から思えば、そんなことはもうマルクス同様に大学ノートを貨幣なら貨幣だけで十冊くらい用意して、朝9時から閉館まで大英図書館にでも通い詰めて、すべての本から抜き書きして、思想を自分で組み立てなければわからないことなんですね。
浪人中に病気にかかってしまったんです。頭の中で音楽が流れ続けて、精神を音楽以外のことに集中できないという病気にかかってしまったんです(今でいうところのイヤーワーム)。人間なんてどうせ瞑想しようとしたって妄想してばかりなんだから、心を一つの対象に向けるということはなかなか難しいんですね。それでもそれまで抜群の集中力を持っていましたから、ああとんでもない病にかかったと大変ショックでした。それで受ける試験受ける試験、みんな失敗してね。
今から思えば中央大学の経済学部は一年からマルクスを学べたので、慶應よりずっと環境は良かったのです。
一般教養ではヘーゲル哲学も扱っていましたからね、中央は。
それをわざわざ受験しなおして慶應に行ったんですが、自由がないんですよ。経済原論Ⅰ〜Ⅲを一年から順に学んでいく。経済原論Ⅰはマクロ経済、原論Ⅱはミクロ、マルクス経済は原論Ⅲですから、3年まで待たなきゃならない。
大学に対してはほとんど興味はありませんでしたね。中学生じゃあるまいし、きちんと登校して先生に挨拶してなんてやってられないんですね。だいいち日吉も三田も遠くてしようがない。そこで大学へは顔を出さずにずっと家で朝から晩まで岩波文庫と格闘していたんです。一年の夏を終えるまでにはマルクスヘーゲルニーチェショーペンハウエルくらいは読み終えていようと、全部本をそろえて、タイムスケジュールを組む。遊んでいる時間なんてないんですね。バイトする時間もない。ところがヘーゲル精神現象学に思いっきり時間を取られちゃうんです。進まない。眠くなる。そこで読みやすいニーチェを手に取ると、自分の言いたいことを全部代弁してくれるのかというくらいぴったり合っている。
見る夢までニーチェと一緒で空を飛ぶ夢なんです。
たまに慶應に顔を出すと、「空を飛ぶ夢を見る?」って周囲に訊くんですけど、誰も見ない。あれは多分前世の記憶が天界にある者が見る夢だろうと思っていました。自由自在なんです。重力の影響を何にも受けずに空を飛ぶ夢を見るのは神になったような気がして、結構難しいんじゃないかな。
脱線しましたが、一年の夏からはニーチェを主に読みました。




今から思えばマルクスにしても、ヘーゲルにしても、若き日の自分からしてみれば、英雄だったのです。歴史の教科書を読んでみてください。そこに何か原因と結果が見えますか?たいていの教科書は民族の興亡史です。どこに歴史的発展が見えるでしょうか?そんなところにヘーゲルは、弁証法という運動法則を発見して、何もないところから人間の精神が現れる、神(宗教)が現れるところまで弁証法だけで一貫して記述してしまう。近代市民社会というのも歴史における弁証法の運動によって達せられた必然だと結論付ける。マルクスはそれに対して、「いいえ、精神(心)ではありません。あるのもあったのも物(物質)だけです。物質の自己展開運動によって、近代市民社会が現れて、それも弁証法の運動法則にしたがって自らの内に矛盾を抱え、その止揚(アウフヘーベン)したものが共産主義社会で、それは歴史的必然ですよ」と結論付ける。
源だ平だ、豊臣だ徳川だという興亡史の連続に過ぎない日本の歴史には応用できないほど可能性を秘めているのです。格が違うのです。ですから私は世界史と政経を選択していたのです。
でも人が寂しさ(疎外感)を感じるのはなぜ?やはり心抜きでは物質の自己展開運動だけでは史的唯物論は正しいとは言えないのではないかという疑問にも、フォイエルバッハの本を契機に「いや、人が寂しさを感じるのは自分の置かれている状況を自然という物質の世界にその関係性を投影してみているから、寂しさという感情が起こるのであって、だから心を抜きにして物質だけで語ることができるんだよ(物質抜きに心は語れないんだよ)」という足がかりを得て、マルクスヘーゲルアウフヘーベンしたと思っていたようです(仏教ではこころ(ナーマ)と物(ルーパ)の二元論です。これがすべての正しい理解です。これを名色分離智といいますが、普通の人には体験できません。頭でわかっても駄目なのが名色分離智に始まる智慧なのです。見清浄といいます。マルクスヘーゲルも見解にとらわれているのです。邪見がなくなるので、見清浄に至ると既存の哲学や世界観はすべていらなくなります)。

何々王朝があって、贅沢したから財政が逼迫して次の何々王朝にとって代わられたんだという(replace)歴史記述のどこに我々は因果関係を見ているでしょうか?AがあればBがある。Aが生まれるときBが生まれる。AがなければBがない。AがなくなるときBがなくなる。この因縁の4つの方程式を歴史で発見しようとしたら大変です。
歴史は退屈でしょう?覚えるものがいっぱいあって何の関連があるのか因果法則が見えない。そこに史的唯物論というのは光のように現れたのです。
歴史が階級闘争だと見たのもマルクスが初めてではないでしょうか?だから哲学としてはお釈迦様のいた時代にも唯物論があって、マルクスより優れたものだったと一概には言えないのです。
お釈迦様の時代の唯物論というのは結局人間は死んだらおしまいですというものなんですけど、だからと言って肉体を満足させようとして強欲な生活を送っていれば、心がけがれてしまう。心が穢れる行為は結局肉体にとっても、何の得にもならない行為だから、道徳は守りましょうよという話になる。盗みなんてケチな行為をして不快になる必要はない。人のものを盗んで肉体の満足のために充てようと思うと、結局は社会から糾弾されて肉体を満足させるどころの話じゃなくなるからそういう行為はやめましょうということで、唯物論といっても物がすべてだと言っているわけじゃない。だからマルクス唯物論よりランクが上だというらしいのですけど、マルクスも道徳を破れとは言っていない。唯物史観はそんなに幼稚なものじゃないんです。もっとも邪見なんですけどね。見清浄を得るまでは、正しい歴史観だと思っていました。