馬越康彦の日記

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旅路の果て

この世に生を受けて50年。ようやくすべての煩悩から解き放たれて聞く初めての除夜の鐘が明日から元旦にかけて、日本中に響き渡る。嬉しい。煩悩から解放された喜びもあるし、無事、年越しそばを今年も味わえる喜びもある。その一方で今日も暗い電話を受け、情けない人間の愚痴話を聞かされるはめになった。僕は今日も俗世間というのを見てきた。神や仏の救いは掃いて捨てるほどあちこちにあるのに、世の中の人間はその救いの手を握らず、やれ金だ、権力だ、豪勢な食事だ、地位だ、いい車だ、子供が大勢いる、いい家に住んでいる、いい家具に囲まれているなどと、私有財産に磨きをかけるのに必死である。
僕はこの一年間、人の間を歩いてみて、つぶさに人々を見て、どうして人は神の愛を求めようとしないのか非常に不可解な結論を抱えたまま年を越すことになりそうだ。神の愛のうちに生きれば、生がどれだけ繰り返されようが苦しまずに済むし、あるいはそれこそ輪廻転生から抜け出して解脱さえできるというのに、(そこにはベン・ハーという良き映画があるのに、聖書という神の言葉があるのに、観自在菩薩様というありがたい存在があるのに、世界はこれほどまで救いの手で満ち溢れ、光が射しているのに)、人はなぜぞれらを避けて生きていこうとするのか、その不自然さが私には信じられない。
一億の言葉のうち、神や仏の言葉が、9999万9999個あるのに、人はたった一つの悪魔の言葉で生きようとするのが不思議でならない。確率論からすると考えられないのだが、人間は神様や仏様を信じようとしない。それらが実在した史実を信じずに生きていこうとしている。何のために歴史という教科があるのか私にはさっぱりだ。振り向けば神の愛があるのに、進歩しても何にもならない科学とかいう世界の中で生きようと試みる人間存在が信じられないのだ。
クリスマスなんて、一昔前はもっと神の愛に満ち溢れていた。キリストの映画やクリスマスキャロルなどが、どこかの放送局で必ず流され、街にはジングルベルが流れ、ほんのひとかけらのチョコレートがあれば幸せいっぱいだったのに、マクドナルドやケンタッキーなどがこれほど街にあふれかえっているにもかかわらず、この40年間で日本は確実に不幸になってしまった。目先の富を追いかけて、女は外へ働きに行き、包丁とまな板の音がしなくなり、少ない子供は少ない親の所有物となって、子供を連れ歩くのがブランドみたいになっている。どうして人間は不幸へ不幸へと傾いていくのかどうしてもわからない。たった40年間でこれだけ日本は不幸になってしまったのだ。
確かに日本は不幸になったけれども、取り返そうなどと欲をかかないことだ。人間は富を失うと、取り返そうと躍起になり、取り返すどころかかえってさらに損をする。今ある幸福を満足できる心を持つこと、人を幸せにすることに生きる目的を見出すこと、これだけのことを日本人がもう一度思い返せば、アベノミクスがなくても、日本はもう一度幸せになる。

12/31 教育について 親である皆さんが、子供をこういう方向へ導こう、こういう理想像へ近づけてやろう、そのためにはこういう躾をしてやらないとと懸命になるのはよくわかる。でも残念なことに、あなた方が100回言い聞かせても、子供は100回裏切るだろう。親の思うようには子供は育たない。それは今親となっている皆さん一人一人が、身をもって知っているはずなのに…。子供は放っておいてもやる時はやる。それが学問であるか、スポーツであるかはわからないが、子供の熱い青春の血がふつふつと沸き立つ限り、子供は放っておいてもひとかどの者に育つ。それより親であるあなた方は、子供に愛情を注がなければならない。神の愛がなければ人は育たないように、親の愛がなければ、子供は育たないからだ。
子供を日ごろから見ているのはあなたたちであるのに、あなたたちは教師の言うことや、隣人の言うことに耳を傾け、子供がどう育とうとしているのか注意深く見てやらない。子供を注意深く見てやり、よくその望むところを丁寧に育ててあげれば、子供はあなたたちを師と崇め、あなたたちの命ずるように行動するだろう。親の言うことを素直に聞いて育つ子を溺愛するな。その子にも遅かれ早かれ自我が育つ。いずれ彼は自分の言うことを頑なに主張し始め、その時になって親のあなた方は幻滅するだろう。子供の人生は子どもの人生である。素直に育っているように見えても、それは子どもがずる賢いから(あるいは優しすぎるから)そういう(聞き分けのいい)ふりをしているだけだ。子供との間で駆け引きをするな。子供の目にはよく見える。私の目に見えているのと同じように、人間の執着心がすけすけに見えている。「いい子にしていたら、これ買ってあげるからね」などと親が取引をしようとしている、その浅ましさを子供はいくつになっても覚えているだろう。だから子供と駆け引きしちゃいけない。思い切って自然(子供)に任せてみることだ。
子供に肩書きをつけてやろうとか、生きるのに不自由しないほど多くの金を与えようとか思わないことだ。東大卒とかハーバード卒とかいう肩書が付くと、肩書があなた方を引きずり回すことになり、その日一日食べていくのに必要な金以上の富を手に入れれば、富があなた方を引きずり回し、心の安らぎが得られなくなるだろう。名声を博せば、名声があなたの主人となり(あなた方は奴隷となる)、人を顎でこき使えば、だれかがあなたを顎でこき使うだろう。人間に必要な生活は、おそらくもっとシンプルな生活だ。これは言いたくなかったのだが、私を信じろ!あまりにもおこがましいので、口にするのを控えていたのだが、わたしはあなた方へ言う。私の言うことを信じ、神を信じ、観自在菩薩様を信じろ!わたしが迷信などに身を落とすと思うのか!地上に生きる私以外のものをすべて合わせても私の頭一つに足りないのに、なぜ、私の言うことを信じないのか?神、仏、菩薩様だけを信じろ!おお涙が出る!私を信じなくてもよい。神や仏は信じなさい!信仰はあなた方を永遠に救うから!誰よりも利己主義であり、疑い深かった私が救われたのだから、信じてください!