馬越康彦の日記

思いついたときに記事を更新

私の発見したいくつかの法則

法則その1
テレビ東京の番組に「世界ナゼそこに?日本人」というのがあって、それを見ていて気が付いたこと(法則)がある。それは貧しい人を助ければ助けるほど、救っている本人もまた幸せのうちに救われてしまうという法則である。
マザー・テレサの奇跡を聞いていて本当かなと疑問に思っていた自分であったが、ここ3,4年この番組を見ていて、困った人を救っている人はそれによって自分もまた救われてしまうという法則を発見した。
現在日本ネパール人づくり協力会の創設者として、ネパールの貧しい人々に鍼灸を教えている山根正子さんや、ザンビアで辺地医療(巡回診療)を行っている山元香代子先生のお二方は「世界ナゼそこに?日本人」で取り上げられて、ああ、こういう人は人を救っているうちに自分も幸せな一生を送るのだなと思っていたが、同じ番組でバングラデシュで貧しい子供を救っている渡辺大樹さん、山根さんと同じネパールで子供たちのために学校を200余りも作ったという「OKバジ」こと垣見一雅さんを見て、この法則は間違いないと確信した。
考えてみれば、マザー・テレサにだって最初から人を救って余りある莫大な資産があって、それから人助けをしていたわけではないのである。お金というのは人助けをしている人のところに自然と集まる。それをちゃんと人助けに利用すれば、さらにお金が集まってくるのが世界の法則である。
結果としてその人は徳を積み、善業をつくり、生きているうちも幸せ、亡くなってからも天界などの善諏に赴くことになる。人間として生まれてやるべきことをやっている人というのはこういう人たちである(本当のところは人間には輪廻からの解脱しか仕事はないんだけど)。
ブッダのダンマパダにもこうある。「花を上手に集めれば美しい花輪を作れるように、人として生まれた限りは多くの徳を積むべきである」



法則その2



慈悲の瞑想によって、線維筋痛症もどきは治る。
私は3年前の冬から、腕、肩、腹、足などを針でちくちく刺され、胸などはその中で小型爆弾がぼんぼん爆発しているのではないかと思われるほどの痛みに見舞われてきたのだが、順天堂大学病院でも、慶應大学病院でも何の検査をしても「異常なし」と言われ、痛さに耐えかねて、ペインクリニックで神経ブロック注射を打ち、トラムセットを一日8錠飲み、フェントステープという合成麻薬を貼ったりして耐え忍んできた。当時の日記には「自殺したほうがまし」とまで書いてあるし「自分は過去世で何をしたのだろう」と業(カルマ)の恐ろしさにおののいていた。人によっては線維筋痛症ではないかという人もいて、「一生治らないよ、お気の毒に」などと言われたものだ。ところが去年(平成28年)の春から「慈悲の瞑想」を寝る前に一回だけ心の中で唱えてから寝るようにしていたら、今年の5月ですっかり治癒してしまったのだ。
トラムセットだ、フェントステープだ、リリカカプセルだといって、薬漬けだった体がすっかり元に戻った。私がやったことで唯一変わったのは「慈悲の瞑想」だけなのだ。
線維筋痛症で苦しんでいる時は非常に困っていた。慶應大学病院などにも行ったのだが、線維筋痛症を診断してくれる医者がまずいないし、まして治療など大学病院ですら望めない。骨が痛いんじゃない、皮が痛いんじゃない、神経が痛いんじゃない、筋肉が痛いんですと言っても、筋肉の痛みを診てくれる医者はないのである(驚いたことに筋肉の痛みは医学では扱わないのだ)。
インターネットで探した東京都内の線維筋痛症を診ていただける医者に連絡を入れると、保険適用外だったり、診察時に薬膳料理(一食数万円)の購入を求められたり、八王子にある病院では医師が線維筋痛症の患者はこれ以上診ないんだと断られたり、線維筋痛症を診ていただける医療機関がこの東京にすら皆無なのでとても困ったのである。
だから私のような線維筋痛症を疑われる人間には慈悲の瞑想は間違いなく効果がある。一日一回(余裕のある人は暇を見つけるたびに、また困っている人は一日中)「生きとし生けるものが幸せでありますように」という慈悲の瞑想を唱えれば、必ず良くなる。
慈悲の瞑想は、慈・悲・喜・捨という四無量心を育てる瞑想である。瞑想といっても心をこめて唱えればいいだけのものである。私は現代医学というのに頼ったが、らちが明かなかった。いろんな検査をいくつも受けたが「異常なし」でそれ以上先へ進まない。治療は受けられないのに、痛みは毎日毎時、毎刻続く。これで悩んでおられる方には慈悲の瞑想はお勧めである。私はこの痛みは、自分のカルマ(業)だと思って、カルマが尽きるまで治らないだろうと思っていた。カルマが尽きるのが早かったのか、慈悲の瞑想の効果の方が早かったのかそれは分からないが、私は慈悲の瞑想で治ったと思う。



慈悲の瞑想についてはこちら
慈悲の瞑想 | 日本テーラワーダ仏教協会



慈悲の瞑想には次に記すような功徳があることでも知られている。


安眠できます。
心地よく起きることができます。
悪夢を見ません。
人々から愛されます。
人ではないもの(神々・霊など)からも愛されます。
神々が守ってくれます。
また、火事や毒や兵器などの危害を免れることができます。
気持ちが落ち着き、集中力が増します(禅定に入れます)。
顔が清らかになります。

死ぬ時でも意識がはっきりしています(認知症で死ぬことはありません)。
もしも、さらに先のところまで到達できないならば(解脱に達しないならば)、梵天の世界に生まれることができます。


神々や神霊、梵天の存在を疑っている人はそれでも大丈夫。初期仏教はこころの科学だから、必ず科学通りに治ってしまう。

〝心を清らかにすると病気の原因や種類がなんであっても治ったり、とにかくいい結果が生まれます。先ほど触れた瞑想によって病気を治すというのも、基本的には心を綺麗にするということです。瞑想は心の中から煩悩という汚れをなくすための方法です。”


〝慈悲の瞑想は特効薬のように素晴らしい力があります。慈悲の瞑想を何度も練習して身につけなければなりません。そうすれば瞬間でも慈悲の瞑想をすると、自分の中に強烈な特別な、万能薬のようなエネルギーがはいってくるようになります。そうなると死ぬまで病気にはかからないでしょう”
スマナサーラ長老 '老病死に勝つブッダ智慧―心と健康の因果法則 (サンガ新書)より)