馬越康彦の日記

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経済学における一般相対性理論と特殊相対性理論

「株価がいくらまで戻りました。これは4年半ぶりの水準です」。最近よく耳にするニュースである。ところで4年半ぶりの水準とは何を意味しているのだろう。それは何か意味のある数値であるのだろうか?
端的に私がある国内会社の株式を保有しているとして、それが4年半前の水準だと100万円になり、現在の日本円による貨幣価値だと120万円になるとしよう。この4年半という時間の開きのある貨幣価値を比較することが果たしてできるのだろうか?購買力による比較をするならば、4年半前に有った商品がそっくりそのまま何ら選好性の差異と変遷を問わずに、比較することになる。ここには幾つもの難題が降りかかる。
まず、物価である。物価がインフレーションの方向にあるならば、実質的な購買力はもしかして下落しているかもしれない。ましてこの期間において消費者の嗜好とか商品そのものの在否によって事態は大きく変わってくる。比較しようと思っていた商品はもう今日では存在しないかもしれない。その逆に以前はなかった商品が購買対象になっているかもしれない。
つまり購買力平価という考え方は、限られた時間と地域の中でしか通用しない考え方なのである。
そして、為替レートの問題である。日本円で120万円の貨幣価値が、他国の貨幣へ換算すると、実は購買力平価の比較対象であった海外の生産品をバスケットの中へいざ入れようとすると、手に入れられないものへと変わっているかもしれないのだ(例えばレアアースなど)。
私が言いたいのは、経済学の世界の中ではすべての財物が相対的な意味しか持っていないということである。すべての財貨は遍く相対的な意味しかもたない。すべての財貨が相対的な意味しかもたないのであれば、そろそろ経済学の世界でも一般相対性理論特殊相対性理論を唱える者が出てきていいのではなかろうか?
私は自著「時代は男にこう語らせた」のなかで、絶対的文化と相対的文化について言及した。経済学の世界でもアインシュタインに出てきてもらいたいものである。その登場を心より望む。