馬越康彦の日記

思いついたときに記事を更新

翻訳調の文学作品だろうが何だろうが、ずば抜けたものは永遠に…

昨年暮れから未読のドストエフスキー作品、『白痴』を読んでいる。トルストイがダイアモンドだと絶賛した通り、あまりの出来の良さにもうただただ一文学青年(老人か?)として感動の渦に巻かれるまま、読み耽っている。
第3編第2章の26ページだけで、第1回から今回までの芥川賞受賞作すべてを失っても何ら後悔しない出来栄えである。これが天才の作品というものだろう。ドストエフスキーがダイヤモンドなら芥川賞は文字通り塵芥の類かもしれない。
海外の作品に共通する一人称や固有名詞の多用をもって「幼い」とか「拙い」などという芥川賞作家がいるが、一人称たると固有名詞たるを問わず、いくら使っても構わないから書いてみろと注文し、期待に応じられる日本人作家が果たしているのだろうか?これだけのものを日本人作家が書けるなら、書いてもらいたいものである。絶対にあり得ない。書けるわけがない。
筋の運びに粗さがあると言われるが、私は興奮してそんなことは気にかからない。これを私と同じ年齢で書きあげたのかと思うと、愕然とするものの、他方で勇気を得られるのもまた事実。
まあ何はともあれ、何の縁(よすが)か今この日記を読んでおられる諸兄姉には、お薦めの一作である。
『海老サンゴ礁』などで文体に頭を抱えるよりも、中身、中身!