馬越康彦の日記

思いついたときに記事を更新

統合失調症・線維筋痛症・多重人格・・・心で解決しうる病

ノーベル賞受賞者でIPS細胞の生みの親の山中伸弥教授とタモリ氏の「人体」というNHKスペシャルで、脳による体内臓器への指令重視から、各臓器間のコミュニケーションの方が重要であるとか、AGCTという核酸塩基の組み合わせによってうまれるDNAの、何がその個体にっとてオープンで、何がクローズかという、それがどうやって決定されているのかを探ることが今後のカギとなっていくことが紹介された。

 

 

テーラワーダ仏教徒なら当然知っているが、カギは心である。現代医学が心に踏み込まない限り、どこまでも解明できない謎が人体には残され続ける。人体の物質的な仕組みが解明されていくにつれ、生命存在の不思議で巧妙なからくりに、造物主の偉大さを思い、感嘆する人がいるが、仏教(以下テーラワーダ仏教をさす)では釈尊が2500年前に心の仕組みを解明しているので、仏教徒は名色分離智(ナーマルーパパリチェッダニャーナ)を知識としては知っている。

 

 

私は自分が統合失調症を30年にわたり患い、断薬により心にはメインパーゾナリティと、複数のサブパーソナリティが瞬間瞬間生滅して、瞬間瞬間メインの人格(パーソナリティ)の座をめぐって相争っていることを知った。

 

 

人格はどんな人にも複数存在する。ただ一般的には心所が無数に瞬間瞬間、変化生滅し、瞬間瞬間、心所に基づく人格も複数、因果法則によって乱立・生滅するが、その争いを制して、皆さんのよく知られる「Aさんは怒りっぽい人で、Bさんは慈悲に富んだ人である」という場合の「怒りっぽい」とか「慈悲深い」という一語で尽くされる代表的人格の座を射止めるのは、けっこう同じメインパーソナリティである。

 

なぜ代表の座を射止めようとするかと言えば、心の栄養は実際の食物と、触(パッサ)、受(ヴェーダナー)、識(ヴインニャーナ)の4つで、これらから得られる快を求めて、戦うからである。人格のそれぞれが欲しい食べ物は、メインが焼肉なら、サブは魚、メインが松田聖子の歌が好きなのに、サブは中森明菜が聞きたいというように、好みが分かれるが、最終的には肉体を通して眼耳鼻舌身から得る(実現する)しかないので、身体を支配する心所=人格が、自分の得たい快を実現して栄養を得られるという理由で、代表の座を求めるのである。もっとも敗れたサブにも、望み通りではないものの、栄養は回ってくる。だからサブパーソナリティも生き続ける。宿主が栄養を摂ると寄生虫も肥え太るように。

 

 

正式な診断を得たわけではないが、5年前には繊維筋痛症に罹っていた。大学病院で検査を受けても、「異常なし」のオンパレード。順天堂などでは「もう来ないでください」と言われたほどである。それくらい現代医療では手を差し伸べられない領域が、心の領域なのである。それも心が「病んでいる」などとよく揶揄されるが、病んでいるのではない。誰にでもメインとサブの戦いは起きているが、普通はメインがサブを押さえつけて勝ち続け、争いの事実は認識されずにいるだけである。だがメインの何らかの失敗によって、力のバランスが失われると、隙を狙っていたサブがつけ込み、統合失調やら多重人格やら繊維筋痛やら、いろいろ問題が生じる。

 

 

心によって痛みは生じる。身体が痛いのではなく、心が「痛い」と感じる。私たちが普段「私」と言っているのは、メインのパーソナリティであるが、サブのパーソナリティも心であるので、心は物質を支配している以上、幻聴・幻視・幻覚などの精神科の分野の病となることもあれば、痛みという感覚の病(線維筋痛症など)になることもある。サブの人格も「痛み」を生じさせうる。線維筋痛症患者の解決しない痛みは、サブの人格(パーソナリティ)が起こしている。だから解決しうるとすれば、精神科・心療内科などの心の病の分野の仕事かもしれない。肉体にとっては「痛み」はない。刺激が伝達されるだけである。危険な刺激である場合に、脳(心)が刺激を「痛み」と捉える。それは相当心の中で、メインとサブが対立・葛藤していることを意味している。サブも心なので、その人から離れない(消えない)。説得して納得させるしかない。心が悲鳴を上げている状態なのだから。条件がそろって、サブという人格(パーソナリティ)も生じている。原因と条件が揃わなければ、滅する。そういう解決方法もある。

 

 

最終的には、メインもサブもないということ、すなわち無我をわからないと解決しないかもしれないが、仕組みは以上の通りなので、そこを理解するだけでも長足の進歩があるはずだ。

 

 

心所は心という水に溶け込んでいる成分なので、心所を基に形成されるメインやサブなどの人格は、お互いを知っているはずだが、メインはサブをあまり知らない。劣後的性格(劣後というのはその人にとってである、あくまでも)は、メインにはあまり重要とは捉えられないからではなかろうか?

だが同じ心なので、メインパーソナリティが考えていることはサブにも伝わってしまう。心という同じカップの水に溶け込んでいる成分同士であるからだ。同じ湯船につかっている者が、自分以外の者の身体を覗き知るように。

 

f:id:umakoshi:20210108071513j:plain

私は線維筋痛症の謎を知っている

 

現象はこのように消えて現われ、世界はこのように動く

因果法則が分かりだすと、現象の滅(消える)と生(現れる・生じる)が見られるようになり、次々と起こる現象が偶然でも奇遇でもなんでもなく、然るべくして(起きるべくして)起きていることが分かります。これによって、こころが安らぎます。

 

 

生と滅がわかるので、まぐれがないことが分かり、すべて当たり前に現象は生じて滅していることが分かり、安心します。これは物事が因果法則通りに動いていることが当人によく分かっているからです。

 

 

四念処の最初の、身体の動きを呼吸を例にとって見てみます。呼吸は意図的に荒くしたり、早めたり、その逆に遅めることもしてはいけません。物事は起きるべきことが起きているのですから、呼吸も自然に因果法則に任せます。

 

 

「ふくらみ・ちぢみ」と集中して観察します。すると、吐き出すという行為は、吸うから起きることなのだと分かります。鼻が詰まっていたりして、吸う息の量が減ると、吐き出す息の量も減り、そして次に吸う息の量は、身体が酸素不足になっているので、当然大きく吸い込んで、酸素をいっぱい摂り入れます。すると吸っている(ふくらみの)息の時間はおのずと長くなり、吐き出す息の量と時間も、大きくそして長くなります。

 

 

みごとに前の原因によって、次の結果が決まってくるでしょう?大きく吸い込んだあとは、細かく速い呼吸が続くでしょう。全部、因果法則で決まってきます。不思議なことは起きていません。書かれてみると、「なんだ、そんなことか」と思えますが、妄想を一切遮断して、智慧でこの因果法則を体得してください。これ以上やることは、ありません。簡単に聞こえるかもしれません。ティッシュペーパーで鶴を折るのも、何のことかわからないか、理由を教わっても「ああ、そうか」と頭では理解できるものの、因果法則はわかりません。そういうものなのです。

 

 

呼吸は原因と結果が直結しているので、因果が見えやすいのです。身体で因果が見られたら、受(ヴェーダナー、感覚(痛みなど))を見ていき、因果を発見する、同様に心(頭に浮かび上がってくる妄想、意門に触れる法(内外の現象))を見て、最後が法(ダンマ)です。

 

 

これで四念処が終わります。頭の中に起こるHな妄想も、原因があって起きているのです。このように分かりだすと、全部、原因があって結果がある、何も不思議なことは起きていないという事がはっきり分かります。すべて当然。すべて当たり前。これが因果法則です。

 

因果法則はどこにでもあります。短い時間で、極度に集中してください。どこからでも悟れます。

 

 参考にしてね💛 ↓

thierrybuddhist.hatenablog.com

 

f:id:umakoshi:20201228134624j:plain

男組 流 VS 李大広  八極拳 猛虎硬爬山

 

両親を無事お弔いして思うこと ―— この記事は徐々に書き足します ――

今日で、昨年の母の通夜から一年がたつ。私が両親のため?介護離職したのは48歳の時である。48歳といえば、世間のことも家庭のことも、どちらもある程度こなせる人のように思われるかもしれないが、独身の私は実家暮らしで、まだ親の庇護のもとに暮らしていた。

 

掃除も洗濯も、庭の木の手入れや、花壇に水やりするのも、外壁塗装のタイミングや、瓦の屋根をガルバリウム鋼板に葺き替えるのも、雨樋の補修や散水ホースの水漏れも、防鼠工事も何もかも親任せで、何一つできませんでした。

 

さらに悪いことに、車の運転、とくに自宅の駐車場に車庫入れすることすらままならないという、「きみ、何ができるの?」と問われたら返答に窮する無能力者だったのです。

 

私よりひどい者はそうそういないでしょうが、子共で50歳近いといっても、自分の介護を当てにしてよいのか、中には引きこもりなどの諸事情で、介護を頼むどころか、衣食住の面倒を見なければいけない子共かもしれません。引きこもりではないにしても、コロナ禍で職を失い、生きていくのに困る人がたくさんいますから、自分を看てくれる頼りになる子共というのは、まずいないと思った方がいい。自分が迷える存在なのだから、子共も又、迷える存在なのです。

 

10年前、それまで元気だった両親が相次いで入院した時は、相当焦りました。何とか車で20分ほどの所の都立病院に運びましたが、父の手術が午後始まり、終わったのが夜7時過ぎ。5月でしたが、外は真っ暗でした。母は入院を一週間後に控えていましたが、まだ自宅療養でしたので、二人で車で家に帰らなければなりません。自分の車で帰るのですから、何が問題なの?ということになるのでしょうけど、当時の私は、昼間ですら車庫入れがままなりませんでした。前面6Mの道路でこれですから、いかに下手かがわかるでしょう。

 

 

当時弟は結婚して3人目の子供ができたという事で、嫁と子供に囲まれて、わいわいと大変ながらも徐々に若い力が育っていくのが、私の目にも明らかでした。日昇る国といったところでしょうか。それに対して我が家は、だんだん死が近づく父と母を抱えて、50歳近い私一人が孤軍奮闘して、それまでやったことのない家事も介護も家計も、すべて独りでやらねばならない。両親を見送った後は、自分で自分の後始末をしなければならない。誰も手を貸してくれぬという事で、絶望的に真っ暗でした。震えていました。悪夢にうなされていました。

 

 

我が家は、「日、没する国」という感じでした。ちょうど今の超高齢化と少子化で国力がそがれ、その国の尻拭いを一手に任され、敵兵との最前線に立ちながら、安全に兵をゆっくりゆっくり後退させていく指揮を、自分一人で担わなければなりませんでした。とにかく、全部自分でやらねばならぬ。

 

幸いだったのは、我が家が比較的お金に困らない家庭であったという事でしょうか。両親とも亡くなってしまい、恥を覚悟で具体的な金額まで踏み込みますが、父は東京都の職員、母は電電公社勤務後、父と結婚して、私が小学校2年生頃からパートに出ていました。父が2か月で50万5千円、母が同じく10万4千円の年金が支給されていました。双方合わせて61万の年金を、本来父と母の2人で使うはずが、私が介護離職して無職ですので、3人で使う。預金が2,000万を超えていて自宅はローンが終わっていましたが、築35年を経過していて家はボロボロでした(家は父が中古を購入しています)。こうして書いてみるとはっきりしてきますが、父の財力で成立していました。

  

私が年金支給される65歳まで父か母のどちらかが生きていれば、家は残してやるから何とかなるよというのが母の口癖でした(実際はそれよりずっと早く二人とも亡くなってしまうのですが。親の寿命は子どもの期待には添えません)。

 

住宅街にいたため、買い物は車でした。それまで父と母の二人で買ってきていたのが、父が徐々にはずれていって、私と母が車で出かけるようになりました。

こう書くとスムーズに移行しているかのようですが、実際にそうなるまではなかなか大変でした。父はその役を私に譲ろうとはせず、それでいて身体は動かなくなってきていたのを隠しながら、嫌々車を運転して買い物に出ていたのですが、母が「お父さん、買い物に行くわよ」と呼びかけてもなかなか応じず、私はスーパーまでの運転がままならない(と、いうより自宅もスーパーも駐車が不自由で車を動かせない)。冬の食料が尽きかけた時など、母が500メートル離れたスーパーへカートを引いて買い物に行くのですが、「よく動いてくれた、お母さん!」などと、日記に記すほどですから、都内と言っても多摩に暮らす人にとっては、車は必需品かもしれません。まあ、私のように駐車できないから動かせないという人も珍しいかもしれませんが。

 

今は生協の宅配便がいいかもしれません。またセブンイレブンが近くにあったので、弁当が500円から宅配していただけるのをいいことに、よく使っていました。だんだん最低利用料金が上がっていったと記憶しています。買う時はまとめ買いしていました。宅配便も使用頻度が高いと、業者が嫌がるようで、家は根っからのねぎらい好きなので、よくみかんを差し上げていましたが、そういうインセンティブが働かないと、嫌な顔をされます。

 

 

我が家の近くには学芸大学と付属の幼稚園から小学校まであるのですが、春先などは窓を少し開けていると、ラグビー部の練習の声が届きます。「うぉー」という怒涛のような声が聞こえてきて、それが耳に入ると、私の血も騒ぎます。この頃は年老いていく両親と私に、嫁が加わって、子どもが生まれ、若い血が入ったら、どれほど心強いことか、そうなったら私は介護も子育ても共に頑張ろうなどと、夢見ていました。家庭を持つ最後のチャンスになるところでした。そういう夢想をすればするほど、ジレンマで頭はきりきりと痛みました。

 

 

年寄りと一緒に生活していると、生活が年寄り染みてきます。ともに50年暮らしてきた両親ですが、若い頃は力で守ってもらい、学校から社会人の始めまでは財力で保護してもらい、と常に助けてきてもらったのに、性格がだんだん意固地になっていく父は、私や母とは一線を画して生活し始めました。多分に私に対する失望があったのでしょう。父も若い力が家に加わることを望んでいるようでした。

 

父はよく、「康彦はアウトサイダーだな」と言っていました。大学を卒業して就職するところまではよかったのですが、一度転職してしまうと、癖になって我慢のきかない性分になっていくようです。父としては学歴同様に、就職先も輝かしい企業を期待していました。それがかなわぬ今、結婚だけはして、この家を子供の声で一杯にしてほしいと思っていたようでした。私がそれにも応えられないことがはっきりしてきて、「何のためにこの子(私)のために、投資したのだろう?」と訝しく思っていたようです。

煩悩(主に欲情)に惹かれた一年

統合失調症の薬(リスペリドン)を飲んで、だいぶ霊障がおさまってきた。完全になくなることはないが、それは30年の闘病生活で経験済みである。

ある程度のところで落ち着き、それを維持(Keep)していくしかない。完全に断薬したこの一年の、おそるべき霊障と比較すれば遥かにマシというものだ。

 

しかし薬で抑えているとはいえ、その背後には、表に出てくれば悪魔を超える力を持つ、心という不思議な世界の闇の部分がある(表も闇もないんだけどね)。

 

スマ長老に、「心が現象をつくっていますよ」と言われた時は、ブッダの実践心理学シリーズで、もう一度「心所」などに当たってみたが、心という「識る」機能が純粋に働いている中に、「怒り・嫉妬・憎しみ・・・」などの心所が溶け込むという以上のことは、よくわからない。

 

心の中に、米国大統領とビン・ラディン氏のような、二律背反・不倶戴天の二者がいること、「私」とは、もともと無いもので、一瞬一瞬、俺が俺がと、無数の「私」が殺し合いをして、その人の表面的な人格というポール・ポジション争いをしており、これを終わらすためには「私」はない=無我、という状態にならなければいけないということまではわかった。

 

しかし、無くなったと思うと、復活するのが自我である。最終的な解決はまだまだ先の事のようである。

 

この一年は、霊障により自宅を出て八王子でホテル暮らしをするところから始まり、コロナが広まり、府中(東京都府中市)へ引越し、霊障が霊の仕業だと知り、今治へ引越し、自宅の売却、福山へ引越しとめまぐるしい一年であった。

 

私は30年間、女性と性交渉がないのだが、わけてもこの3年は自慰行為すら止まっていて、欲がなくなったか?と思いきや、引越してからは、自慰行為が始まってしまった。集金に来る女性が、なんで?という艶やかなドレス姿で玄関に立たれた時は、私も堕ちてしまいそうであった(堕ちててよいのかもしれないが、不邪淫戒違反でしょ。もし自慰行為と同レベルの悪行為なら残念至極。やっとけばよかった)。ほかにも手を握られたり、接触されたり、「おいで、おいで」と若い娘に手招きされたり、じっと見つめられることもあった(思いあがっていたが、誰でもこの程度はあるようです。反省)。

 

 

いずれも臆病な心が勝って、なんの結果もないのであるが、いつ落ちてしまうかわからない状況である。還暦を3年3か月後に控えたじいさんには嬉しい誘いかけであるが、心がそのたび動揺して波を打ち、コントロールできない。

 

以前ネットで読んだ「ウメぽん」さんという方のミャンマーでの出家生活紀を読むと、自慰も何度かすると、「アウト」のようである。本来の出家とは、かように厳しい。

 

それを思うと在家でよかったのだが、怒りも欲も、煩悩は乗り越えがたい。親というタガが外れているので、かてて加えて家族もいないので、なおさら自分でなんとか律していかなくてはならない日々である。ああ、シンドい。

 

 

今…感じる感覚は……

おれは「白」の中に

いるということだ…

DIOは「黒」!

ジョースターさんたちは

「白」

「黒」と「白」がはっきり

別れて感じられるぜ!

傷ついた体でも

勇気が湧いてくる

「正しいことの白」の中に

おれはいるッ!

 

f:id:umakoshi:20201226204231j:plain

安心するんじゃ ポルナレフ

 

心が物質をつくる

一週間連続して、お香を家の中の4か所で焚き続け(睡眠時を除く)、加湿器の水にはアロマオイルを混ぜ、さらに2つのアロマペンダントにもアロマオイルを入れて加湿し、CDプレーヤー2台にはスマナサーラ長老のブッダの日常読誦経典のお経を、DISK1とDISK2のそれぞれを別々にいれて、オールランダムリピートでほぼ24時間連続再生し、それとは別にスマホのアプリの日常読誦経典を再生し、夜はテレビ2台でYOU TUBEでスマ長老の説法を流し続け、己も唱和するという、悪魔払いのようなお祓いを続け、霊が去ったかと思いきや、離れない。

 

 

大阪のテーラワーダの師匠からは、(統合失調症の)「薬を飲め!」と言われているのだが、30年飲み続けた薬を断薬して1年になるし、また、あの眠気で頭の冴えない午前中を迎えるのかと躊躇していたのだが、一昨日福山の医師から、ケネディ大統領の妹か姉とやらも統合失調症にかかり、徳の高い(おそらくキリスト教の)司祭や神父、精神科の名医などが束になって心理療法(日本で云う所の説法みたいなもの?)を試みたが、ことごとく失敗、統合失調症の治療に光が射したのは、リスパダール(リスペリドン)が出てからだよとの話を伺い、ようよう服薬を再開した。

 

 

統合失調症により、脳の神経伝達物質ドーパミン)の過剰もしくは過少になっていた状態を、このリスパダールによって改善し、幻聴や幻覚を減らそうという試みである。脳の器質障害が原因らしいのだが、今まで脳と心は別物で、仏教はもちろん心が最優先、心に基づきすべてつくられるということなので、脳は無視してきた。

 

だが、どうやら脳と心はまったく別物という私の誤解は本当に誤解で、脳が心に関与して、心は物質(色=ルーパ)を支配し、また物質に依存もし、相互作用で成り立っていくのが欲界と色界の生命の在り方らしい。

 

私を乗せたままソファが宙に浮かんで揺れる。グラスの中の氷が破砕(クラッシュ)する。飲んでいるお茶などのペットボトルがくしゃんと圧縮され潰される。上下階の床をどたんばたんとすごい物音で踏み鳴らされる。中でもどうやって知るのか、私の丁度真上で、3kgの金属を落下させる音。バスルームの電気が消えた後、チカチカと点滅する。人のものとは思えないほどの地獄の亡者の怒鳴り声。霊たちの尿・便・精液が床にまき散らされる。ラップ音がする(今治にいた時は「はーい」と玄関まで出ていた)。ガスコンロの炎が赤い。私の向かう先で亡者の地獄の笑い声がする。

 

 

こうした霊障は、すべて医師に報告済みなのだが、「ソファが浮かんで揺れる?麻原しょうこうの空中浮遊を思わせますね、すごい力です」と言われ、ハッと「考えてみれば自分の心の力なのだから凄いな」と思ったが、しかしこれらはすべて自分に敵対する自分の心のパートのなせる業であり、私が思うように空を飛べるわけではない。全然嬉しくないのだ(苦笑)。

 

 

そんなことを思いながら帰宅して、テレビを見ていたら、また霊障である。ねずみの糞だよと言われた例の霊(こころ)による糞という物質。まことに心(ナーマ)は物質(ルーパ)をつくる。残念ながら、ネズミはいないし、いたにせよ、私の眼前で糞をするのは見たことがない。

 

 

この私に敵対する心。これを止めるには、心を停める、つまり涅槃の世界に足を入れるしかないのだが(薬で抑えることもある程度期待しているが)、心が機能しなくなる所(受・想・行・識のはたらきがとまる所)で、霊たちのもの凄く苦しむ声にさいなまれた。涅槃(ニルヴァーナ)までは、彼らもついてこれまい。いや、誰もついてこれないのだ。それにしても、ひやひやものの瞑想修行です。

瞬間、瞬間あるべき姿に決まってしまう怖さと不思議 因果法則と業(カルマ)

無数の原因が一定の条件の下で、当然の結果を出すという因果法則。それが少し理解でき、同時に過去と未来を顧慮せず、一切を現在の現象に対する気づき(サティ)に向け続けて慣れはじめると、因果法則の決まる怖さを目の当たりにする。

 

 

すべてが容赦なく現在の現象に結果して、それが因となり即座に次の結果が叩き出される。またそれが因となり、次の結果が・・・というように、一連の物事の流れが、瞬間瞬間の決定の結果の当然の連続として見えてくる。なんの偶然も、なんの期待や希望の入り込む余地なく、ある意味で無慈悲に、法則は法則として結果を出し続ける、そのさまが手に取るようにわかる。唸ってしまう。これが、因果法則!これを知るために、釈尊は4阿僧祇劫と十万劫年も輪廻転生してきたのか(それも一切智者となることを、ディーパンカラ仏の前で、誓願してからの話である)!ひたすら驚き、このすさまじい法則に凌駕される。

 

 

思うに、親鸞の教えのどこに因果法則があるのだろうか?親鸞だけでなく、唯識をはじめ、空海から今日の新興宗教まで、哲学的に面白いのはあるが、仏教の根幹をなす因果法則と業(カルマ)の話抜きで成り立っている教えのなんたる多さよ!

 

その点、19世紀のロシアの文豪であるトルストイの「人はなんで生きるか」などを読むと、トルストイが神の恩寵・奇跡としている現象を、もしカルマ(業)や因果法則として理解していたら、それは(両者の差は)わずかな差であるように見えるが、人はみな造物主の恩寵や秘跡に頼ってしまい、因果法則・業(カルマ)にたどり着くのは、ブッダだけなのだから、わずかな差異に見えて、因果法則を見破るブッダの出現の、その何とも不思議(稀有)なことよ!

 

 

原因があれば結果がある。ActionとReaction。行為には必ず結果がある。頭では簡単に理解できるのに、本当に知ることのなんと難しいことか。原因と結果は時間差を伴って生じることもある。その時間が経過するうちに、消えてしまう原因もあるし、時間経過の中で、他の諸々の諸要素が複雑に絡みこんできて、元の原因がとても変化して結果することもある。このように書くと、いろいろな原因と結果の生じるパターンが無数にあって、因果法則を知っても将来の設計に役立たないように見える。

 

因果法則を知る最大の目的は、現在、結果している現象が、期待外れでも、期待に添うものでも、期待を上回るものでもなく、条件の整ったものが当たり前に結果していることを、身体でわかることである。これがわかると、現象に安らぎを覚える。滅茶苦茶なことが起きているわけではない。起きるべきことが起きている。自分の中でもうもうと燃えていた山火事が鎮火して、もう二度と火がつくことがない。なぜならマジックのタネがわかってしまったから。ああ、そうだよねという感じ。

 

 

この心の茫漠たる山火事を消し去ること、究極の安らぎを覚えることが、因果法則を理解することの目的であり、将来予測はできません。

 

将来を予測することはできないが、業論にしたがえば、よい結果と悪い結果をもたらす行為は特定されます。よい行為にはよい結果、悪い行為には、悪い結果が結実します。これ(善因善果と悪因悪果)も、行為と結果には時間差があるので、悪人が豊かな生活を送っているように見えたり、善人がリストラに遭い、生きるのに苦しむこともあります。またスマ長老が仰るように、善行為をするのに幾つも悪行為をしてしまうこともあります。業(カルマ)はその通りに結果を出すので、良い結果も悪い結果もごちゃ混ぜに結果して、このことと、原因と結果の時間差、つまり先ほど述べた「悪人が笑って、善人が泣いている」とか、一見逆転している現象世界での結果が、人の頭には、「因果法則はない」という一律した邪見をもたらすのです。

 

本当は因果法則の一部である業(カルマ)も法則ですから、見事に法則通りに結果を出しているのです。

すべて起こるべきことが起きている。だから安心で、何の期待も希望もない

因果法則についての勉強を、スマ長老の本、DVD,そして何よりも瞑想を通じて深めた結果、今起きていることは、起きるべきことが起きているとわかり、爾来、現実に対して何の不満も、期待も、希望も無くなり、気づきをできるだけすべての行動に広げ、不放逸に励み、期待はないが自分にできることは力を尽くして、因=条件を整えることに努めている。

 

私が就職したのは今より30年前、金融自由化が本格的になり、国際金融都市”東京”の実現を旗印に、護送船団方式が見直され、地価も株価も高騰し、1,000万円の預金が2口もあれば、MMCやFRCなどの預金商品の利息で、食べていけるような時代であった。

 

が、数年でバブルは弾け、その後リセッションが長らく続くことになった。私が就職する頃は、経済学者でいえば大前研一氏が売れていて、各経済誌の巻頭を飾っていた時である。為替相場の動きが大きくて、少ないロットで大きな儲け(為替差益)が出ていた頃だと思う。

 

田原総一郎氏が司会を務めるテレビ朝日の「朝まで生テレビ」が人気で、時代を代表する経済学者や政治学者、評論家などの論客が様々な意匠を纏って、朝まで喧々諤々、「この人すごい、かっこいい!」とか、「へぇ~、そういう考えがあるのか」などと一躍お茶の間の皆さんの憧れの的となって、翌土曜日の休みを前に、私も徹夜で見ていたクチであるが、なんだかこういう方々と優秀な官僚の皆さんがいれば、バブルは終わったが、明るい未来が待っているように思えた。

 

しかるに、彼らはメンバーを入れ替え組み替えながら、30年論じた挙句、今日の経済も政治も、当時と比較にならないほど落ち込み、民主主義を維持することすら難しくなっている。

 

この30年間も起きるべきことが起きてきた。ちゃんと原因があって結果が生じ、因果法則通りに現象世界は成立してきた。が、因果法則のわからない人(普通はわからないのだが)は、これ(現象世界)はひどい現実である、我々は「希望の党」を立ち上げようではないか!、なんてことになったわけだが、それ(希望)はもちろん因果法則がわからないから生じる考え方なのである。

 

スマ長老の下で、ティッシュペーパーを使って、正確に何枚も折り紙(鶴)を作っていた人はわかるだろうが、どれだけ正確に鶴を折り込もうとしても、ティッシュペーパー一枚ごとの紙の形状や化学繊維の癖、折る人の指をコントロールする意志の強弱、室温湿度など様々な条件によって、実際に出来上がる折り紙は、一枚一枚すべて異なる。しかし、その一枚一枚は、ちゃんと紙の性質や、指の動き、温度や湿度など無数の原因があらゆる条件下で結果したもの、すなわち因果法則通りにぴったり出来上がったものなのである。

 

これでわかるように、この30年の歴史も、それは決して期待外れでも予想を裏切ったものでもなく、その時その時の原因により当然生じた結果であり、魔訶不思議でも何でもない。起きるべきことが起きただけである。起こるべきことが起きている、何の不思議もないと本当に理解し得た時、現象世界の謎は解け、もうそこに期待や希望を抱くことはなく、燃え盛る山火事の消えた後のように、心は安定して落ち着く。生じた結果はただ受け止め、「では何ができるのか、どうしましょうか」と、次に生じる結果に対し、正しい因と縁をつくることに専念する。

 

しかして、あの生テレビの討論とは何だったのだろうか?あるいは現在とりくんでいる政策とかは、本当に将来、「実になるもの」なのだろうか?

 

釈尊も将来を予測することはなかった。現実は無数の因と果により織り込まれていくもので、因のひとつがわずかに変わっても、将来はどうなるか予測できない。だから予測は成り立たないのである。生テレビのあの討論も、それが因となって、30年後の現在、日本はこの程度の被害ですんでいるのか、あるいはまったく関係なかったのか、それとも被害をひどくしたのか、はよく分からない。

 

因果法則の世界では瞬間瞬間、起きるべきことが起きていて、それが分かる人の心は安らいでいて、その人は何の期待も希望も抱かず、淡々と現実を受け止める。

 

ただ努力は怠らない。不放逸に、よい因となるように励んで、結果は結果で、淡々と受け止める、そういう生活になるのである。

 

因縁のセオリー を発見する(以下アルボムッレ・スマナサーラ. 日本人が知らないブッダの話 ― お釈迦さまの生涯の意外な真相 (スマナサーラ長老クラシックス)より抜粋)

 

  修行を成功させて心が解脱に達する過程を、律蔵『大品』のなかで、お釈迦様がこの ように偈で唱えています。

 

「修行に励むバラモンに、現象があらわになる。そのとき、現象は原因により生じる

ものだと知る。一切の疑いが消え去る。

 

  修行に励む バラモン に、現象があらわになる。そのとき、現象の原因は滅するもの だと知る。一切の疑いが消え去る。

 

 修行に励む バラモン に、現象があらわになる。そのとき、魔 の軍勢を 打ち破り、   太陽のごとく、空に輝く」

 (Kindle の位置No.1209-1212). Evolving. Kindle 版.