馬越康彦の日記

思いついたときに記事を更新

新時代の経済

被災地復旧で、Amazonほしい物リストが大いに役立ったという。被災者は当座必要な物をリストにし、支援者はリストに従って供給していれば物の過不足が生じず、いたずらに募金ばかりが集まり、まったく支援に結び付かないという従来型の事態を回避できたわけである。今までは価格と云うフィルターにこの需給の均衡の役割を担わせてきたのだが、あるいは価格で調整できない分野(農産物などの国の買い取りなど)に国家の役割が期待されていたのだが、どちらも役不足の時代が到来した。奢侈品は放っておき、生活必需品の需要がどれだけあるのか(年金が不足していて、食べたいものが食べられない高齢者の需要も、幼くして6人に1人の割合で一汁一菜に困り果てる世帯の人たちの需要も、もちろんこの中に含まれる)、需要についてはほとんど「ほしい物リスト」で把握できるところまで、時代は進んでいる。
注)一部テレビで取り上げられていたが、忘れたころに「ほしい物」が届くというのは、必需品の供給には該当しないので、こうしたものは省いていく必要がある。何もかも満たすのではなく、必要な物は必要に応じて支給しましょうということである(この贅沢品の需要を抑え込む為、個々の家庭の所得という天井が今までは機能していた)。
何もかも価格と個人の責任へ押し付け、実現できもしない年金政策やら貨幣経済にそろそろご退場いただく時代がやって来た。減らされる一方の年金に、個々の家庭がそれぞれ自助努力をして対応する時代は終焉を告げ、家や市町村や都道府県や国すら超えた地球規模での取り組みが、今、求められている。2014年ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユサフザイさんの言うように、声なき声をすくい上げる時代が来たのだ(そしてそれを可能にするだけの基礎((インフラと社会的合意))はできている)。
問題は物流である。今まであそこまで足を運ばなければ手に入らなかったものが、家庭にいて受け取れるようにするには、今まで以上に物流重視の社会を実現していかねばならない(足腰が立たなくなり、車の運転もままならず、子供もいない独居老人を少しでも助けるには物流革命を起こさなければならない)。
さて、こうした需給一致は物についてだけではなく、趣味などの分野にまで拡大させていくべきである。性欲については正しい申告は得られないだろうが、今まで漠然としていた人間の欲望の需給まで一致させられる何かのヒントをAmazonの「ほしい物リスト」に見たような気がする。ここにかかる期待は大きい。今、あちらこちらでこうした取り組みがされている(介護の世界でも起きている)。政府の持っていたビッグデータの民間への開示がさらに強まるものと思われる。

さて、こうして需要が把握できれば、次は供給である。作りすぎてはいけない。必要な量は把握できているのだから、それだけの数をつくることをして、空いた時間はすべてやりたいことをしたいだけできるようにする社会づくりをする。最終的にどの産業にどれだけの人が必要かということの決定までを、価格に代わる新しい基準、「望み(HOPE)」に託す時が来た。この段階で需要と供給は齟齬を来すだろう。もし、労働に何のインセンティブも働かないのなら、働く者など地球上からいなくなってしまうだろうから。みんなが「ほしい物リスト」に登録するだけで、寝て、起きて、性交して、食ってまた寝る生活の始まりをそれは意味する。だが、はたして人間とはそのようにできているのだろうか?そうなるとおそらくまた例の働き者が出てきて、田畑を耕し、人より多くの私財を蓄え、やがて他人を奴隷(農奴)とし、歴史はまた同じことを繰り返すだろう。我々人間がそのように生まれついているのなら、その本性に任せてみよう。だが我々は自然を愛していないだろうか?趣味で田畑を耕作する者はいるのに、仕事になると何故話は別なのか?自然災害によって収穫量が変わるから、農業に就くのが怖いのだろうか?人間が本当に必要としているものは、実は限られているのではなかろうか?ここで、需要の内容の子細な検討を人類は迫られる。量ではなく、物そのものが必要なのかどうかだ。そうして必要な物を詳しく検討していく過程で、経済は縮小していくだろう。高画質な記録媒体、VHS,βテープ、レーザーディスク、カセット、レコード、CD,DVD、地デジ、4Kテレビ、どれだけ我々は消費を迫られてきたことか。もうそろそろ一区切りつけようではないか。我々に必要なのは芸術であって、必要以上の“物”ではない。

*必要需要を「ほしい物リスト」で掴むことができ、十分な供給能力を有す現在、両者の橋渡しを「価格」から「ネット」へ替え、供給側の供給も「あげるものリスト」(自分で賄ってもいいし、他人様のお役にたてればというちょっとしたおすそわけ的な奉仕の精神があれば可能)で把握してしまえば、あとは働くインセンティブ(自分でこうして楽しんで物をつくりたいとか、こうして工夫して働いてみたいとか、こうして他人様のお役にたてればという奉仕の精神があれば実現可。インセンティブの働かない労働は人間が本来望むものではない)さえ確保し、易々と富の世界的供給と共有、世界人類の需給の一致を実現できる。さらにいえば、経済を大幅にダウンサイズさせていけば、のどかな生活を再び手に入れ、覚者をもっと生み出すことが可能となり、自然との再共存も夢ではない。核施設は不要となり、価格というフィルターがなくなるので、自然再生エネルギーの積極活用が進む。

*2「ほしい物リスト」で必要な物が手に入れば、貨幣は不要となる。収穫できなくても、高齢者になっても生きていける(人間として最低限度の生活が保障される)。経済をダウンサイズしていけば、やがて今あるインフラも不要となるに違いない。その時初めてこの仕組みも不要となり、人間が人間らしく生きていく未来が見える。