馬越康彦の日記

思いついたときに記事を更新

母すい臓がんになる②

ここ最近は夢の中に母が出てくることが多い。目が覚めてまだ母は生きているんだ、母の声を聴くことはまだできるんだと思うとほっと溜息をつく。同時に母はいないんだということがよくわかる。母という色・受・想・行・識の五蘊があるだけだということがはっきりわかる。母にはいろいろ手伝ってもらったが、母というのは五蘊の集まりで、因縁によって一時的に現れている現象でしかなかったんだということがわかると、思い出に浸って泣くということは全くなくなっている。貪瞋痴で反応している母と、これまた貪瞋痴で反応している私がお互い反射的に反応しあった五十五年間、それが母と私の付き合いだったんだなと思うと、特に思い出を懐かしむわけでもなく、これから母と残された時間で特別な思い出作りをしなくてはいけないという強迫観念もない。お互い五蘊の流れだったんだね。ただ、いいところ(善趣:スガティ)へ転生させるのは私の義務だ。

 

二年半前に父が亡くなったときは父の夢をよく見た。父がいないことで随分寂しい思いをした。あの頃とは違って私は成長したんだなと思う。父は酒に酔って食器棚のガラス戸に左ひじをぶつけ、そこから黄色ブドウ球菌が入り込み、敗血症で亡くなった。人工呼吸器で鼻と口に管がつながり、そのほかの箇所にも管がつながって生かされている父は、心がもう体を見限って、自分の好き勝手に時間の束縛なく動いていたのだろうと思う。そこで「ああ、これだ」と思う気に入った出来事に心は引き付けられ、その心が結生心となって次の身体を作り出し輪廻転生をしていく。
父は次に生まれ変わる世界を見ていたに違いない。その後ある病院のERから別の病院へ転院した父は、意識が戻ったときに、私に向かって次に生まれ変わる世界のことを必死になって知らせようとしゃべるのだが、歯から音がかすかに漏れるだけで全く聞き取れなかった。私は何をしゃべっているのかわからないのに「うん、うん」と笑顔でうなずいていたら、父は「クソ!」と言って話すのをやめた。
「糞」が出そうなのかと思い看護師を呼んで処置を頼んだのだが、あれは「俺がこれから行く世界のことをこれだけ一生懸命しゃべっているのに伝わらないのか、こん畜生!」という意味での「クソ」だったと気づいたのはずいぶん後のことだ。
あんまりよくない世界を父は見ていたのかもしれない。
その反省があるから私は父の死に泣いてばかりいる母にテーラワーダ仏教を語りだした。ここ二年半で随分母も成長したのかと思っていたが、昨日から精神状態が危うい。「病に飲まれている、病に飲まれている」と言って精神安定剤に頼ろうとしているのを見ると、ここ二年半の自分の努力は何だったのだろうかと思う。

 

心はなかなか成長しない。残された時間でどこまで心を清められるのだろう?

 

抗がん剤治療はワンクールの三分の二が終わったところで血液検査を行った。赤血球、白血球ともに減少し、γーGTPがいくらか高いのだが、それほど悪くない結果だと医師はにこやかだった。森永クリミールや明治のメイプロテインを使用している。
ツムラ48も処方していただいた。身体の面倒は看られるのだが、心は難しい。
慈悲の瞑想だけは唱えさせている。

 

2019.7.26(金)私の拙い説法で、生きるとは何なのか、すべてが瞬間瞬間に生じては滅しているのだから、何にも執着できないし、何も執着に値しない。執着が次の身体を生み出しているのだということが、母は納得できるという。少しは効果があるみたいだ。介護(特に心の成長)にやりがいを感じる。