馬越康彦の日記

思いついたときに記事を更新

国家30年の計

私はバブル隆盛期の時に、銀行員として社会に入り、転職先でパワハラを受けて統合失調症になり、紆余曲折を経てなんとか両親を自宅で看取り、今、独り身を愉しんでいる。

 

就職した時からほぼ30年が過ぎた。国際金融都市「東京」、その幕開けとともに私の社会人生活は始まり、ひきこもり(80-50問題)、貧富の二極化、所得の減少、人口減少、etcという天地がひっくり返る落差を以て、今日に至っている。

 

経済学者、評論家、国際政治学者がどれだけテレビや紙面を飾り、ある者は大臣となり、ある者は知事となり、あらわれ、そして消えていった。「朝まで生テレビ」や「日曜討論」は、こうした学者先生や評論家、政治家などを迎え、朝まで30年一貫して国をよくしようと討論されてきた。白書が各種刊行され、優秀な公務員と政治家によって、毎年度計画を以て統治してきた結果が、30年前より深刻に悪化した経済と生活という結果となって日本をおおっている。あまりのことに愕然となる。

 

国家100年の計とか、(三国志の頃は)天下三分の計などといわれ、なにか頭の良い人が先を見据えれば、100年は国が保つ、あるいは国力が盛んになる計画や計略があるのだろうと期待してみていたら、あれよあれよの転落である。

 

それでもまだこの人たちが舞台に立って、国家を先導している。なぜ?

 

だからこうした人たちの展望、計略、計画はなんの意味も持たなかったのである。何かちがうのだ。なにかこういう計画と実際の結果がまるでちがってしまうほどの、別の法則で世の中、世界は動いている。

 

はやくそれに気づいていただきたい。30年もたない計略なんて、驚くべき智慧の持ち主たちである。